神戸 三宮バー カクテルが美味しい BARSAKAI -464ページ目

すばらしいこと。

生は全て自分が作っているのです
 確かに客観的に見て相手があなたの人生を
 めちゃくちゃにしたかもしれません
 その結果あなたが苦しんでいるかもしれません
 しかし長い目で見てください
 人生、何が幸せか不幸かわからないことがあります
 めちゃくちゃに壊されたことが返って良かったかもしれません
 ですから今を嘆かないでください
 何年かたって、これでよかったんだって思えるかもしれません
 ですから今だけを見て不幸だと嘆かないでください
 そして腹のたつ人であってもその人を
 恨んだり憎んだりしないでください
 その人が今幸せかどうかも関係ないのです
 そんなことを考えて無駄なエネルギーを使うものでもありません
 そんなことをすると自分に跳ね返ってきてしまいます
 その人を大きな愛で許してください
 許すというのは難しいかもしれません
 自分の人生を狂わせた人をどうして許せるのかと
 思うかもしれません
 許しこそが私達を大きく成長させるものなのです
 人間ですから、いやだと思う人
 どうしても許せないと思う人がいるかもしれません
 でもその人を許す大きな心が大切なのです




生きていれば 、苦手な人に出逢ったり、時には裏切られたり
つらい思いをします.故意的に意地悪されることもあるだろうし
相手はそのつもりがなくても自分のとり方が悪くて、きずついて
しまったり、っていうことは多々あることです。
でも考えてみてください。
「私は人を傷つけたことはあるだろうか」と、たぶん
無意識に,何気ないことばで,私達は必ず誰かを傷つけて
いるのです。ただきがつかないだけで、、
そして,もう一つ、自分は全く悪いところがなかったのか?
相手だけが100%悪かったのか?故意的にだまされたとしたら
自分はどうして相手を見抜けなかったのか?と
本当に避けられる方法はなかったのか、
もし直観力があったら、避けられたこともあるかもしれません。
私は誰も傷つけたことないという人がいたら、無菌室で誰とも
会話をしたことのない人ではないでしょうか。
悪気のない冗談が相手を傷つけることがあります。
照れ隠しでいった一言で、傷つける場合もあります。わるぎがなくても
好意から.誤解されることもあります.

それらに傷ついていては、生きていけなくなってしまいます。
他人の言葉、行動に傷ついて、ずっとうらんでいたとしましょう.
外はきれいな景色で、さくらが咲いています.でもあなたが,
うらみ,つらみ,愚痴で,心を曇らせていたら,桜のすばらしさに
気付けなくなってしまいます.次のチャンスがやってきてるのに、
過去を引きずって,文句ばかり言ってたら,せっかくのチャンスも
逃げていってしまうのです。
チャンスの扉は、自分をしっかり見てアンテナを立ててないと
あけることはできません。扉があっても、心が曇っていると
見つけられなくなってしまうのです。
人を許せないで,文句ばかり言って
そしてついには自分のチャンスまで,逃してしまったら,
もったいないではありませんか?嫌なこともあるけれど,
生きていれば,必ず素晴らしいことがやってきます.ですから、
過去にとらわれず、これから起りうる,楽しいことに、めをむけて
みませんか?自分のためにも、、、
1日2日では許せないかもしれません。
でも、少しずつ,許していきましょう。
誰のためではなく,自分自身のために、、
許すことの素晴らしさがわかったとき、
自分自身が癒されているのですから.
憎しみは自分の心に毒をつくってしまいます。                          自分のために許してみましょう.


さあ神戸もがんばろう

涙がでる。がんばらなくちゃ

『だから弱い生き物である人間は
犯人となるべき誰かを探してしまう!
怒りの矛先を向ける相手を探そうとしてしまう!』

『地震とは人類の不摂生がもたらすものとは性質が違い
地球という惑星が起こす自然現象である!
地球が安全な球体であろうとするために
自らを調整する地殻作用である!
しかしながら人類にとっての地震は
「犯人なき大量殺人」に過ぎない!
だから!
だから弱い生き物である人間は
犯人となるべき誰かを探してしまう!
怒りの矛先を向ける相手を探そうとしてしまう!
それは対応の遅い政府だとか
不確かな報道だとか
インターネットにおける誤報だったりする!
挙げ句はアナウンサーの背後で手を振る無邪気な高校生に
何らかの怒りを向けようと流れる!

それらは全て間違っている!』
こうした人間の心理があることを否定しないで、自分の中にも存在することみとめることです。
また、これを他の人に投射して他の人を批判することにならないように。

一般にだれかが間違っていると思うとき、
わたしの中には、いろんな思いが渦巻いています。

少なくとも犯人捜しをしたがるときには、「怒り」があります。
その原因が、だれにあるのか、
わたしにあるのか、相手にあるのか、それとも他のだれかや社会にあるのか、
ほとんどの場合、だれかひとりの責任ではないし、
わたしの中にも、責任の一端があることをうすうす気づいています。

自分の責任を認めたくなくて、相手のせいにしたがるのが「投射」という防衛機制ですが、
これが働くとき、わたしの方にはいろんな事情がありますが、
あいてに対しては、そうは思いません。

あいては、単純に一つの考え方しかできない存在だと見るのです。
いろんな感情を持つ人としてみないで、単なる対象の一つになってしまいます。

「あいつは、そういう考え方しかしないやつなんだ」
そんなとき、
わたしは、あいつがきらいだと感じます。

その人が言っていることは「まったく理解できない」と感じます。
「どうしてそんな考え方が出来るの?」
「どうして『わたしが』考えるように思えないのだろう?」

そこには、『わたしが』考える基準が存在するのです。

もし、わたしが『わたしが』考える基準に違反したら、厳しく非難することになります。
わたしの中に、それを許さない自分がいるのです。

そして、それを相手にも適用します。
わたしが、自分に許さないのと同じように、相手もそのようであってはならないのです。

わたしが、ダメだと思ってやっていないことを、平気でやってしまう相手が許せない。

しかし、わたしの考えが、もしかしたら絶対ではないと思えるときが来たら、
わたしが、わたしに厳しく禁止していることに気がついたら、
じつは、わたしの中にも、彼のように自由に振る舞いたいと感じている自分がいることに気がついたら、

そのとき、わたしはその束縛から解放されます。

そして、わたしが自分を束縛しなくなれば、
あいてを批判する自分もいなくなります。

相手の行動を許せるし、わたしが同じことをするのも許せるようになり

話題を最初に戻しますと、
地震のような、誰にも怒りを向けられないものに直面したとき、
やり場のない怒りを、誰かに向けたくなるのです。

そんなとき、標的をさがすのは、わたしの中のうまく制御できないでいる自分なのです。

わたしの中で、普段から葛藤を起こしている部分、
「こんなことではダメだ!」と叱る自分と、
「そんなこと知るか!」と言いたいけれど押さえつけられている自分が葛藤を起こしています。

怒りは、この葛藤を無視して暴走します。
このときとばかり、自分以外の人に怒りをぶつけたくなるのです。

まずは、自分を許すこと。
それによって、まわりの人を犯人にしようとしたがる自分も消えていきます。

それでも、あまりにも理不尽な出来事による怒りは、
なかなか許すことを拒絶します。

それには時間がかかるかもしれませんが、
しかし、
いつかは、
自分を許さないと、永遠に犯人を作り続けなければなりません。

いつかは、怒り続けるわたしに、さよならを言わないといけないのです。

皆様、周年ありがとうございました。感謝感謝

ここで、一つ良いお話します。


謙虚さがなくなる兆候です・・・・・・・・・皆さんも参考にしてください。



①時間に遅れだす。


②約束を自分の方から破りだす。


③挨拶が雑になりだす。


④他人の批判や会社の批判をしだす。


⑤すぐに怒りだす(寛容さがなくなる)。


⑥他人の話を上調子で聞き出す。


⑦仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。


⑧ものごとの対応が緩慢になる。


⑨理論派になりだす(屁理屈を言う)。


⑩打算的になりだす(損得勘定がしみつく)。


⑪自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。


⑫目下の人に対して、ぞんざいになる。


⑬言い訳が多くなる。


⑭「ありがとうございます」という言葉が少なくなる
(感謝の気持ちがなくなる)。



さあ、今日も感謝の気持ち忘れず、ハリキッテまいりましょう。