786 魔法使いルーフィ | たまふの書物語まりふ

786 魔法使いルーフィ

シミュレートしてみれば
一目瞭然である。


そうした狂気が、欲望の下

閉領域で起こるのは。




例えば、暇な人間が二人居たとする。



もし、十分幸せで
楽しい生き方をしている人々なら



楽しい経験、映画や音楽や

美味なもの、そういう[楽しい]話題に


話が進むが



そうでない場合、共通の不満などを
話題にしたりする(笑)



実に、低俗な事だが


クリエイティブでない人々と言うのは


そういう無駄なエネルギーを使う癖がある。



攻撃は、一番動物性な行動であるし
排他は、一番低次元な本能である。



自分が生き残る為に、排他するのである。


従って、共通の話題になる攻撃対象は

目立つ者だったり、能力の高い者だったりする。




そういう者を排他すれば、レベルの低い自分達が
生き残る可能性が増える(笑)


そういう本能で、レベルの低い者が


例えばケネディや、JOHN LENNONを

殺すし



もっと低いレベルでは、イジメで
人々を殺したりする。



つまりは、過剰な欲望である。

殺さなくても、誰も困らないのだ。





日本人は、そういう排他を行おうとしても
1970年代辺りまでは、大抵


優しい女の子や、勇ましい女の子がそれを
阻止したりした。


1960年代なら、がき大将が弱い者を

保護したりしたが



それは、社会に共通の

生物的な庇護の本能があったからである。




言っていいのかわからないが、日本人は
そうであった。



それ以後、そういう正義より利己が
流行ったのは

つまり、経済、大人社会の真似である。




それまでは日本人社会は
利己を恥ずかしいモノとしていたが
以降、変わってしまったからである。



それを日本人社会に持ち込んだのは
渡来人たちの排他性、つまり


満たされぬ異常な欲望だ。