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バリー・ロングの教え

バリー・ロング(Barry Long: 1926 – 2003)著作の「死するは恐れのみ」(Only Fear Dies)の第2章を日本語に訳しました。

この本は、今これを読んでいるあなたのために書かれました。あなたの不幸をさらけ出し、どうすれば「感情体」を取り去っていくことが出来るかを示すためです。この本はあなたのためにありますが、あなたに今、自らの不幸を取り除く覚悟がなければ全く無価値なものです。

 

ここまであなたは、「人格」と「不幸が増していく仕組み」について読んできました。今度は、生きることへの対応を学ぶことで、実際に命の真理と向き合わなくてはなりません。それは、人生の出来事から逃れられることは出来ないからです。そして、自分の中で蓄積した不幸を取り去っていくという、長く辛いであろう過程に乗り出さなければなりません。

 

それを成し遂げ、この恵まれた地球をその分だけ幸せにすることは、あなた次第です。

 

 

自分の不幸を取り去るには、まず、今以上に不幸が自分の中に集結することを止めなければいけません。

 

不幸は、いつにおいても「今」始まるものです。

 

不幸には実体があり、それは「今」集結します。思い出すことで心痛する不幸は、すでに過去にあり、あなたの内に残留しているので、それは「今」始まる不幸ではありません。不幸は、直接に確認できる出来事で始まります。たとえば車の事故、愛する人と別れること、性的な大惨事、死、失業といった、あらゆるショックでです。そこでの課題は、その時の感情が自分の中に入ってくるのを防ぐことです。これには、即座に行動を起こすことが要求されます。

 

まず最初の行動は、その出来事が実際に起ったという事実と向き合うことです。

 

最初の反応としては、その出来事を否定して信じない、ということが普通です。これは、「感情体」がショックを免れるために現実から目を逸らして逃避しようとしているのもので、感情が入り込む間合いを作ってしまい、平常心が失われてしまいます。

 

まずは事実を知覚しなさい。

 

これをするには、出来事を問題として見てはいけません。すなわち、起こったことについて、この先どうなるのか、自分にどう影響するのかを考えないのです。今現在に留まらなければなりません。現実にいなければなりません。現実にいるとは、今現在いるところに心を収めることです。

 

未来はまだ訪れてはいません。事実は、あなたの車や人生の一部分が目の前で変化した、ということです。解釈や分析をしてはいけません。想像したり結論を出したりはせずに、出来事をありのままに見なければなりません。そうすれば、あなたの意識の内に、その場で要求される物理的行動が直ちに浮かびます。悩んだり考えたりする必要がなくなります。

 

重要なのは「今」のみです。未来や過去について考えることで「今」を離れた瞬間、あなたは不幸になります。感情が入ることを許してしまいます。出来事が終わった後も同様です。振り返ったり、頭の中で回想したりしてはいけません。

 

出来事が起こった時のショックは免れることはできません。しかし、ショックは感情ではありません。ショックとは、自己変革の可能性を伴う真空です。ショックは、あなたの思考と、過去との連続性を切り除きます。そこにただ「在る」ことが出来れば、ショックの瞬間あなたは真新しいのです。抜本的な自己変革の可能性は膨大にあります。パニックや不安が起こるのは、思考を再び介入させ、あの「感情体」を掻き立ててしまってからのことです。これにより、さらなる感情と不幸が招き入れられてしまいます。

 

行動に専心しなさい。

 

一瞬一瞬、出来事そのもののエネルギーに要求される行動に専心しなければなりません。出来事そのもの、場面そのものを見ると、やるべきこと(それがある場合)がはっきりと見えてきます。

 

考えたことをしてはいけません。正しいことをしなさい。正しいことは、「ありのまま」に反映されています。あなたの空想ではなく、現実に今、目の前にある出来事に反映されているのです。起こすべき行動がないのであれば、それも見えてきます。その場合でも、考えてはいけません。

 

未来や過去に投射することで心が「今」から外れてしまうと、その事変を問題にしてしまいます。「なんて言われるだろうか」、「どう思われるだろうか」と考えたりすることもそうです。純粋な出来事として知覚出来なくなります。あなたが、恐れという自分の心の不幸を注入してしまった、ということになります。

 

出来事を、想像を通じて別なものへと変えることをせず、純粋のままで保てれば、それは今、そして先の未来に、あなたに不幸をもたらすことはありません。不幸が「今」に入らないようにすれば、「未来」に入ることもありません。そうすれば、最初の事変から続く他の出来事は、それぞれのタイミングで自然と正しく収まっていきます。

 

 

感情的な痛みを感じている時は、あなたは物事を素直に見ていません。自らを妨げてしまい、自然の流れから外れてしまっているのです。思いを働かせ、出来事に自分の恐れや不安(自分の「感情体」)を投射しているのです。そうなると、出来事はその不幸の感情の一部を、続いて起こる出来事を通して反射せざるを得なくなり、あなたにはそれらの出来事にも同じ問題が含まれているように見えてしまいます。

 

上記がどういうことなのかと、その背後にある真理をここで説明します。これは、この宇宙の確かな解放的真理の一つです。身をもってこれを体得するには、この説明を何度か読み通さなければならないかもしれません。体得できた時には、大いな自己知と精神的な鮮明さが放たれます。それは次の通りです。

 

全てはあなたの意識の中で起こります。

 

起こっていることを意識できるのは、意識の中で起こっているからです。

 

寝ている間に起こったことなど、あなたが起こったと想うことは全く別です。それは意識の働きではなく、心の働きです。意識は心の背後にあり、心が働いたり思い返したりするための意識を与えます。心は意識に頼りますが、意識は心に頼りません。

 

日常生活における意識と心の違いについて、もう一つの例を見てみましょう。もしあなたが不在のとき、他の運転者があなたの車を衝突させてしまったとすると、その出来事はあなたの意識の中で起こっていません。その場合は、あなたが衝突のことを知った瞬間、初めてあなたの意識の中で起こります。そして、それを問題にしてしまい、次々と問題が重なる状況を作ってしまうかどうかは、あなたがその瞬間どう反応・対応するか次第で決定されます。

 

すなわち、出来事をどれほど鮮明に知覚できるかが、あなたが出来事とそれに続く事情にどう影響されるかが決定されるのです。出来事が起こったときにそれを問題とすると、その次に起こることは同じ問題の延長線上にあるものとして受け止められ、実際に同じ問題の一部となってしまいます。つまり、その出来事の後には問題を含んだ出来事が続いて起きてしまいます。たとえば、車を衝突させた場合、事故車をガレージに戻さなければならないという問題、しばらくの間車なしの生活を送らなければならないという問題、修理代金をどう払うかという問題、などです。

 

人類は、この問題の連鎖を伴った「普通」の生活が当たり前であり、出来事の自然な展開であると受け入れるようになってしまいました。そうなると、それぞれの問題を解決するためにはさらなる問題、あるいは時間と努力が要されます。しかし、それは真実ではなく、自然でもありません。そのような生活は全く必要ないのです。確かに一般的に人はそういった生き方がされますが、それは意識の中で出来事を問題にしているからにすぎません。問題にすることをやめ、各出来事を問題の連鎖の一部でなく、この瞬間唯一のものとして見れば、全てが根本的に変わります。これは、意識の力によるものです。

 

あなたの(心でなく)意識というのは、宇宙の中で最も強く、創造力を有するものです。意識は、心の背後より、あなたの人生に対する知覚の通りにあなたの人生を指導します。あなたに無理やり物事を押し付けつることはありません。あなたの知覚の鮮明さに習って、あなたのために創造をします。あなたの人生はあなたによるものであり、あなたが人生にどう影響されるかは人生の見方次第で決まります。人生は、人生観の通りでなくてはなりません。あなたが問題を知覚していれば、意識は問題を創らざるを得ません。しかし、あなたが問題を作り出すことを控え、起きている出来事のみ見ていれば、意識は問題を創ることなく自然の通りに働くことが出来ます。これが、すべての不幸を断ち切る命の奇跡、意識の奇跡です。

 

ここで、大切なポイントをお教えします。この奇跡を可能にするのは、「あなたの意識の中で起こる出来事の全ては、以前の出来事に対する自然の応え・解決である」という真理です。「遅延」や「問題」は心によるものにすぎません。

 

問題になってしまってはいけません。ただ在りなさい。そうすれば解決への手がかりが来ます。

 

出来事が「問題になる」、「問題を起こしてしまう」と考えることで未来や時の関連性を含ませることをしなければ、困難として見えるものはすぐに他の出来事により中和されます。あなたがただ「在る」ことで、解決への手かがりは訪れます。

 

たとえば車を衝突させた場合、レッカー車が現れたり、誰かが牽引してくれたりします。車が修理中の時、誰かが車を突然貸してくれたり、予想外のお金が入ってきて修理代金が払えたりします。いかなる状況でも問題はないのです。それは、問題を作っていないからです。

 

出来事が起こるごとに対応し、動揺した反応や苛立った反応を避けることで、自分の意識から感情的な「問題作り」を排除することだけが要求されます。必要なものは、出来事の自然な展開により与えられるのです。

 

「人生や出来事を問題にすることをやめた分、出来事とその解決の間に生み出される時間・感情は減る」、というのが極意です。要するに、困難や制限としての「時間」を減らし、最終的には排除するのです。そうすれば、(たとえ他者にそうは見えなくとも)出来事はタイムレスに流れ、生きることが甘く、優しく、楽になります。

 

以上を要約すれば次のようになります。あなたが問題を作り、それを拡張させています。そして、「時間」の中での自分の行動を通して、問題をなくしたり解決したりすると思っています。しかし、結局はより早く訪れていたはずの解決を、悩んだりイライラすることで遅らせているにすぎません。最初から問題などないのです。

 

唯一の問題はあなた、すなわち単純な命の真理を見えなくするあなたの不幸です。問題を作っているあなたが、痛みと混乱となって、邪魔しているにすぎません。問題である不幸を自ら取り除けば、全ての問題と全ての不幸は消え失せます。