「熱い」、一人なのに笑うほど暑い。目の前にある噴水が涼しそうだ。やっとこの地に立ったという喜びを感じるが、その感慨に浸る間はない。ほどほどに早く館内に入らないと焼け焦げてしまう。タクシーを降りた所から入口に向けて車椅子をこぎはじめる。
原爆記念館の館内に入ると、所かまわず人々が床に座り込んでいる。ちょっと異様な雰囲気だ。若者が目立つが、外国人も多い。暑さの中、館内で休んでいるのだろう。
障害者手帳を見せて展示スペースに入ると、入口のビデオ映像の前に人だかり。そこを避けて順路の最初の展示に進む。広島に原爆が投下されて60年後の当日ということもあり、特に熱心な方が多いのだろう。展示に吸い寄せられたように人はピタッと動かない。英語表示の説明と展示物を食い入るように見ている外国人が目立つ。
最初のほうの展示は、広島が明治大正、そして昭和と、軍事都市になっていく生い立ちが示されている。太平洋戦争突入の時期あたりの展示からはいよいよ人だかりで見えない。
ふと後ろを向くと、広島の市街地の被災状況を表す街のジオラマが展示室の中央に置いてある。街の真ん中の空中には高さ50㌢位の位置に赤い玉が釣り下げられている。原爆を表現しているようである。ジオラマといっても建物はほとんど倒れている?、というか消え去っている感じ。単なる平らな地形図模型のような状態を呈している。これが現実なのであろう。
順路の隅の所に二階へのエレベーターがある。
二階では原爆投下後の日本の国の動きやアメリカの調査団のことが書いてあった。投下の翌日の新聞では「広島が爆撃に遭いわずかな被害」と報じていた。また年表には「日本が新型爆弾の使用に対してアメリカに抗議」と書いてあった。
戦後の平和運動の展示スペースにはあまり人がいなかったので、じっくりと見る。この悲劇を繰り返さないため、懸命に平和運動に取り組んでいる様子が展示されている。にもかかわらずあまり実を結んでいないような気がした。好戦主義者の人類の愚かさもあるが、それぞれに平和を思う気持ちが、平和運動に向かって一つの力に集約されていないことにも一因があるのではないか。