久々の投稿。
いろいろありましたが それは後ほどに
2011 -3.11の東日本大震災から今日で3年が経ちました。
あっと言う間でしたね。
時が経つのが早いのか、それとも自分だけ時計の針が遅いのか。
きっと被災者の皆さんも同じ事考えておられるのではないかと思います。
もう3年、まだ3年。
政権も変った、株価や経済も変った
しかし聞こえてくるのは 復興の明るい話題ではなく
原発が、公共事業が、市民が、と
やたら左翼や団塊の世代が口にすることばかり。
TV・新聞・雑誌などのメディアは被災地を取り上げるも、
それは報道でも支援でもなく
「政府の犠牲者」を演出する道具にしてる。
うんざりだ。
被災者や殉災者への思いはないのか?
復興支援として農産物・特産物を買おうと言えば
放射能がどうのとデマを流し
反論すればネトウヨがどうの言論の自由がどうのと来る
結局のところ他人の主張は認めたくない、受け入れられない
ただの反原発狂信者共だ
このブログを書いているのは朝3時だけど
もうすぐコンビニには「震災から3年」「進まぬ復興」の見出しで
原発問題を絡めてくるはずさ。
嫌になるね。
うんざりだ、嫌になる、といえばこの人もそうだろう
民主党の黄川田徹(きかわだとおる)議員(60歳・岩手陸前高田)
情報通なら彼と現防衛大臣 小野寺 五典(おのでら いつのり)氏と
黄川田議員の奮闘ぶりは知っているはず。
産経新聞WEB版に彼の記事が載っていたので要約して紹介したい
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【両親、妻、長男を失った黄川田氏】
「ほら倒れたままの墓石もあるでしょう。墓を直すにも至っていない人がいるわけだ。転居した人もいるし一家全滅のところもある再建できる者、できない者。3年の中にいろんな人生があるんだ」
黄川田は陸前高田市内の小学校で催された追悼式参列した後 先祖代々の菩提寺を訪ねた。 <あの日>を没年月日に刻んだ墓石があちこちにある。
【政局に翻弄されて】
「震災復興に与党も野党もない。政局をやっている暇はなかったんだ」
自身が所属していた元代表 小沢一郎のグループが政局の震源地だったことに怒りがこみ上げてくる。 黄川田は復興の最前線にいたが小沢らは違った。
「小沢先生が被災地のために走ってくれれば復興は進む」
期待を抱いて小沢邸を訪れたが集まったグループ議員が交わす会話は菅直人内閣を潰す謀議ばかり。小沢も被災地へのいたわりの言葉もなく復興や原発について一言も口にしなかった。あまりの怒りに我を失いかけたという。
【失われた一体感】
与党時代は「復興に党派はない」との思いがあり自民議員と一体感があったが立場が変りそれが失われつつあるという。
被災地は「集中復興期間5年」の半ばを過ぎても仮設から災害公営住宅への転居は進まず被災者間での「格差問題」は顕在化している。
行政による土地買収も地権者の特定や利害調整のため難航。
黄川田らは土地収用を加速するため議員立法を提出したが野党の立場ではなかなか成立も見込めない。
「方向性と着地点は見えてきた。ただ被災者からすればあと2年も仮設暮らしとなればもう限界だ。あと2年、どう支えていくか・・・」
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現場を知る者しか言えない とても重い話だ。
先日の朝日新聞の見出しは防潮堤の写真と
税金の無駄使いの文字と、相変わらずの政府批判。
『現地では人員の不足』だと
公務員の削減を煽っていた連中が何をほざくか
おかげで官民間の調整がうまくいかず復興が遅れている。
韓国との歴史&慰安婦問題、
中国との摩擦(領土問題と書いちゃダメなんだよな)
これらにしても元凶は朝日新聞や国内の反日勢力だ
復興や発展を妨げているのも同じグループ
「日本人の敵は日本人」だと つくづく思う。
何はともあれ3月11日の今日
東日本大震災の殉災者 死者行方不明の方々を偲び
謹んで哀悼の意を捧げたい
合掌・・・