<福島第1原発>吉田元所長が死去 

事故時に現場対応

 

東京電力福島第1原発事故の際、収束作業を指揮した元所長の吉田昌郎(よしだ・まさお)さん=執行役員=が9日、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳。葬儀は未定。
11年11月中旬、健康診断で食道がんが見つかり、12月1日付で所長職を退いた。その後、体調が回復し復帰の意向を周囲にもらしていたが、12年7月に脳出血で倒れ、自宅療養を続けていた。吉田さんの事故後からの被ばく線量は約70ミリシーベルト。東電広報部は「担当医の診断の結果、死去と被ばくとの直接的な関係はない」としている。
吉田さんは事故直後の11年3月12日夜、本店幹部が1号機への海水注入を中断するよう指示したのに対し、独断で注入を継続。中断すれば1号機の燃料溶融がさらに進行した可能性があり、その判断が評価された

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130709-00000047-mai-soci



吉田元所長死去:原発立国の光と影を背負い

吉田さんは1979年に東京工業大大学院を修了。旧通産省(現経済産業省)の内定を蹴って東電に入社、一貫して技術畑を歩いた。「親分肌」「面倒見が良い」と現場の信頼を集め、本店とは距離がある協力企業の作業員の人望も厚かったという。

2011年12月に公表された政府の事故調査報告書(中間報告)によると、吉田さんは原子力設備管理部長だった08年、従来の想定を大幅に上回る「最大15.7メートル」の津波が原発に押し寄せるとの試算結果を独自にまとめながら、「最も厳しい仮定を置いた試算に過ぎない」として防潮堤などの津波対策を先送りしたことが明らかにされている。

http://mainichi.jp/select/news/20130710k0000m040065000c.html



安倍首相、吉田元所長死去に「ご冥福をお祈りする」

安倍晋三首相は9日のTBS番組収録で、東京電力福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した吉田昌郎元所長の死去について「大変な努力をされた。ご冥福をお祈りする」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130709-00000583-san-pol




吉田元所長死去 海江田「現場の強さの象徴」 

菅「原発のあり方話たかった」

民主党の海江田万里代表は吉田昌郎元所長が死去したことについて

「日本の現場力の強さを象徴する人だった。東電本社とのテレビ会議で納得できないことは強く反論していた。現場の責任者としての意識を感じた」と述べた。

 菅直人元首相は都内で行った街頭演説で「必ず病気から回復すると信じていた。回復したらゆっくり原発事故やこれからの原発のあり方を話したいと思っていた」と語った。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130709/stt13070919240004-n1.htm




(`・ω・´)民主党のバカ共が現場に対し何を言ったか、ご存知だろうか。




海江田「吉田さんねぇ、海江田ですがぁ、この機材のね、愛称をさっきからずっと考えてたんですよぉ」
「コレとかアレじゃあ、わかりにくいんでぇ、ほいでねぇ、例えばね、キリンとかどうですかキリン」

吉田「………はい、わかりました。キリンで決めます」
海江田「よしキリンで決めましょう!!」
吉田「…はい。」

海江田「キリン一号ね!」
吉田「はい。」
海江田「キリンでやりましょう!!どうぞ、以上です↑」

動画
http://www.nikkei.com/video/?bclid=340418905002&bctid=424905695002&scrl=1

※これ以降、別の注水機材も「シマウマ」や「ゾウ」と名付けられた。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0603E_W3A300C1000000/  




(`・ω・´)お前らが代りに逝けばよかったんだ。




吉田元所長死去に悼む声ネットに溢れる

「官邸・東電本店に挟まれながら日本を瀬戸際で救った方だと思う」――ネットは吉田氏の死を悼む声で溢れかえっている。

「吉田氏の努力は当時の民主党は勿論、国会議員や東電の上層部は特別功労者として国葬として現内閣に進言すべき東日本大震災へ功労ぶりには後世に伝える義務が今生きている国民にあると考える。吉田元所長の御冥福を心より御祈り申し上げます」

と一般の人からも感謝の言葉が相次いで寄せられている。

http://www.j-cast.com/2013/07/09179065.html?p=2







謹んでご冥福をお祈りいたします。