アルジェリア人質事件の発端を整理してみる。


~起こり~


・元々マリのトゥアレグ族は仏植民地に反抗していた。


・2012年、トゥアレグ人の反政府組織「アザワド開放国民運動」(MNLA)が、マリ北部で反政府活動を活発化。


・リビア内戦で敗戦したカダフィ側の傭兵が武器を持ち帰還、合流

・マリ国軍が沈静化を図ったが、トゥアレグ族武装集団の勢いが増す。


・不十分な武器弾薬と訓練のみで反政府組織と戦ったマリ国軍兵士達。


・ 国防相は、弾薬の補充を求めた兵士達に納得する対応をしなかった。


・2012年3月21日首都バマコで、ブチ切れた軍の反乱兵士が国営放送局を占拠。さらに大統領府を襲撃


・3月22日、軍部はクーデターで権力を掌握したと発表


・4月1日、反乱軍のリーダー、サノゴ大尉は憲法の回復と政府機関の機能回復を宣言


・4月6日 ところがこのドサクサを利用してトゥアレグ族のアザワド解放国民運動がマリ北部を占領 。同時にマリ北部の独立を宣言。
(4月8日トゥーレ大統領が辞任表明。議会議長だったトラオレ氏が暫定大統領に就任)


・クーデターから1週間余りで国の半分が反政府組織の影響下におかれる。
政府軍は武器弾薬が少なくトゥアレグ人反政府勢力と戦うのも難しい状態だった。


・反乱軍が支配する南部と反政府勢力が支配する北部とに分断。


・反政府組織は国際世論を考え「隣接する国々の国境を侵さない」「国連憲章に従う」とした。


・ところが共闘していたアルカイダ系イスラム原理組織AQIMはイスラム主義の教義に従わなかったとして、トゥアレグ族の反乱軍リーダーを追放。


・4月28日トゥアレグ族のアザワド解放国民運動、AQIM、そしてもう一つの組織アルカイダ系組織アンサル・ディーンは北部全域を支配下に置いたと勝手に声明。(この時点でトゥアレグ族のアザワド解放国民運動、AQIM、アルサル・ディーンが3つ巴で争うことになる)


・アザワド解放国民運動が共闘関係の「アンサル・ディーン」と武力衝突。
アルカイダ関連の2組織がトゥアレグ族を打倒し、
2つの組織でマリ北部3州を支配することに。


スミスのブログ



・6月、2つのアルカイダ系組織はイスラムの霊廟や世界遺産などを破壊


・9月、アルカイダ系組織AQIMによる誘拐事件が多発。少年を徴兵するとともに、住民らに厳格なイスラム法(シャリーア)を強制し一切の娯楽を禁じた。


・10月12日、国連安全保障理事会は国際部隊の軍事介入計画を45日以内に提出するための決議案を全会一致で採択


・11月11日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)はマリにへの兵力3300人の部隊派遣計画で合意


・12月10日夜、ディアラ暫定政府首相は身柄を拘束され11日未明に暫定政府の総辞職を表明した


・12月21日アンサル・ディーンと遊牧民トゥアレグ人の反政府勢力は敵対行為

をやめると宣言


・2013年1月10日反政府勢力がマリ中部コンナを制圧した。暫定政府は「深刻な懸念」とし、各国へ政府軍支援をお願いする。


・フランスは、マリをイスラム系武装勢力が支配する事は欧州に脅威を与えるため、同国政府の支援要請を受けて軍事介入を決定。

・1月16日イスラム系組織「血の署名者」がイナメスのガスプラントを襲撃、占拠。人質をとり、仏軍のマリからの即時撤退を要求。



参考資料 

http://matome.naver.jp/odai/2135814605482863701?&page=2