1950年代後半以降、ロックフェラーと宮沢は水面下で接触を重ねるようになる。

スミスのブログ

            ”世界皇帝、ディビッド・ロックフェラー”

宮沢は参院初当選後の1956年、「金融 界の招待でニューヨークの財界と議論し、そのなかでロックフェラー一族の1、2名と話をした」と明かしているが、2人の同盟関係の集大成とも言えるのが、1973年に結成された「日米欧委員会(TC=トライラテラル・コミッション、現三極委員会)」である。
この時、宮沢は日本側のリーダーとして活躍した。

この日米欧委員会とは、ロックフェラーの肝いりで設立された国際的な政財界エリートの連携組織である。
各国の主要銀行 家、企業経営者、政治家、経済学者ら85人(現在は350人)程度を集め、国際協調を主眼に、経済から安全保障までの政策協議を行なう。

しかし、実際の役割は、ロックフェラーの息のかかった代弁者を増やし、米財界にとって都合のいい経済システム ・政策を世界中で実現させることだったとも言われる。

その最初のターゲット にされたのが日本だ。
終戦後、米国に近づくことで経済復興へと導いた宮沢の役割は大きい が、米財界の中核に近づきすぎてしまった。
ロックフェラーの金脈に手なずけられた宮沢は、こうして日本侵食の糸口、TCを提供したのだった。

米政権を通じて日本に「市場開放」を迫る

ロックフェラーとTCは、日本政府に対して大きな影響力を持った。
しかし、それ以上に遥かに大きな影響力を米国政府に対して持っていた。

TC設立後の日本は、ロックフェラーを背後に控えた米政権による「金融市場を開放せよ」という対日要求の波に襲われ続け、そのほとんどを受け入れていった。

1986年、ロックフェラー財閥の一翼を担うメリルリンチなど外資 金融機関が次々と上陸を始めると、98年には、長引く不況の渦中に日本版 金融ビッグバンが始まり、規制緩和によって日本の金融外資に支配されることとなった。

日本長期信用銀行は、累計8兆円もの公的資金を注入されたあげく、10億円の破格値で米国の投資ファンド・リップルウッド社に買収され、再出発後にロックフェラー自身が役員として名を連ねた。

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え~時間の都合上、記事をお借りしちゃいましたが、概ねこんな感じでしっかり売国ってたわけです。

前回、自衛隊の若手幹部数名による「クーデター未遂事件」ですが、当時の幹部連中はおよそ日本国民が

知らなかった事実を既に把握していたからこそ、計画したのだと思います。

それだけ自衛隊の「スキル」は凄いものがあるんですよ。


もうすでに仙谷の周りにはそれらしい人間が配置されてるかも? ケケケケケ(`∀´)