ハチワンダイバーという漫画がある。

僕のハチワンダイバーとの出会い。


最初にハチワンダイバーを目にした時、なんだこの漫画は????と思った。


文字が異様にでかい。1ページにに文字が8文字くらいしか入っていない事なんてザラである。

初めて読んだ時には、登場人物同士が「ニューヨーク」というモデルを元に世界の実体について話合っていた。

こう書くと、ものすごく難しい内容だったと感じる人が多いかもしれないが、ただこれだけである。

「ニューヨークの地上には巨大なビル群が広がっているだろう。そこにだけ人類が住んでいるように見える。
だがその土台は実は薄氷一枚、その下に巨大なもう一つの世界がある。」


この1文を説明するのに何十ものコマを使い、キャラクターは汗をかいたり、俯いたり、絶望する。
本当にそんな世界があるのかなんなのか分からない。彼らがなんでこんなに真剣に話しているのか分からない。
だが差してこの話に大した意味はないようである。
そしてこれだけで1話が終わった。

なんて自由な漫画なんだ。。。。そう思うしかなかった。
分かった。これはカイジの二番煎じというヤツか。






後にハチワンダイバーが将棋漫画である事を友人から聞くことになる。

僕はその時こういった。

嘘をつくな


いや、本当に将棋漫画だって という友人に対して、






いや、俺は違うと思うな と、はき捨てた。





後に買って読む事になる。




完全なる将棋漫画だった





スポーツ漫画に恋愛や人生が入ってくる事があるのと同じように、将棋漫画が将棋という道から逸れる事があってもおかしくはない。

だが、1話まるまる使ってニューヨークについて議論を交わすシーンを読んだら、
「これはまあ絶対将棋漫画じゃないな」と思ってしまうのもしょうがなくないか?

81マスから逃れられない将棋のように、将棋漫画もまた、将棋からは逃れられない。
そんな錯覚が生んだ悲劇である。
「自由奔放すぎる変な漫画が出てくるご時世だね」と、偏見が生んだ錯覚である。

ハチワンダイバーは
人生を教えてくれる人生将棋漫画だった。





熱い力強いメッセージが物語の方向性をささえ、
物語の方向性が 方向性を隠している。
自由奔放な面白いヤツと見せかけた天才知略家。
それが漫画「ハチワンダイバー」






続くの?