まず、
だらだら長時間やらないこと。
集中して短時間やる方が記憶に残るし、
続けるためにも腹八分目でやめとく方が良い。
そして、焦らない。
大量に情報を詰め込むより、
当たり前の基本を
深く深く落とし込んでいくことが何より大切。
その方が実力がつく。

15分で区切る。
一番記憶に残るのは最初と最後だけだから
それ以上やっても無駄な時間が増えるだけ。
15分たったら中途半端でもやめる。
そして、それを100日間続ける。
新たな能力獲得を実感できるには
一般的に、まる3ヶ月継続する必要がある。
けれど3ヶ月とは考えないように。
日割りの方が緊張感が強いので行動力が増す。
100日カウントダウンでやるのがいい。

毎日少しずつを
集中して深く深く
100日間。




ではでは。






ヒャッホー!
自分への贈り物。
久々の大人買い!
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ギターと周辺機器
・Fender American Professional Stratcaster MN SNG
・YAMAHA THR5(ギターアンプ)
・SONY MDR-CD900ST(ヘッドホン)
Geekria ケース(ヘッドホンケース)
・KC M-300N(演奏用チェア)
・K&M 14047(譜面台)

そして、書籍10冊。
・大人のための音感ドリル
・基礎力向上のための独奏エチュード
・3音でギターを制覇するトライアド・アプローチ
・パイロットにチャレンジ2018-2019
・プリズナートレーニング
・アウトプット大全
・漫画版日本の歴史1〜4巻

ギターとその周辺機器買うのは40年ぶり!
書籍も一度に1万円以上買うのは4、5年ぶりか?
1個もハズレなしでした。
大満足!

それぞれのレビューは追々アップ致します。



7年に及ぶ悪戦苦闘の介護生活と
想像以上に面倒だった遺品整理、不動産売却。
昨年末、ようやく完結!
(自分に)本当に本当に、
お疲れ様、ご苦労様でした。

という訳で、
クリスマスプレゼントとお年玉 for Me
なのでした!



ほんじゃまた。







実績を積めば自信が得られるは嘘。
自信が付けば不安が無くなるは嘘。
不安が無くなることが心の理想的在り方なんて大嘘。

自信がないから出来ないとか。
自信を付けるにはどうしたいいとか。
不安があるから行動出来ないとか。
不安を無くす方法とか。


どうでもいい!


自信があろうが無かろうが、
不安があろうが無かろうが、
やることやる。ってだけ。
何でもかんでも不安や自信の所為にすな!ってこと。

不安なんかあるの当たり前だし、
自信あったってしくじるときゃしくじるし。

夢実現してる人は皆、
いつも自信満々で不安なんか感じてない。
訳じゃない。
いかにもそんな風に振る舞ってる人もいるけどね^^;
あれ嘘だから。格好つけてるだけだから。
いやまじで。


そもそも不安を感じない人間が本当にいたら、
その人病気だし。キチガイだし。
不安っていうのは生き物にとって大切なアラーム機能だから。

それに、初めてやることや未知の問題や突発的な事故で
自信も糞もないでしょ。
そんなとき自信なんかある訳ないし、
無いから出来ないなんて言ってらんないし。


不安も自信も、有ったり無かったりだから。
有るときゃあるし、無いときゃない。
当たり前っしょ。
心なんて、そん時そん時いろいろだもの。

むしろ
自信なんか無くて当たり前。
だって自分が考えてることの客観的正しさなんて
大概証明出来ないでしょ。
未来の結果なんて誰にも分かんないんだから。
だから自信はなくて普通。
あったらただの思い込み。
自信なんてそんなもん。
みんな自信を高く評価しすぎだよ。
不安も同様。

それに、
自信がないから駄目なんだって
自信のなさに囚われてるから余計に前に進めない。
不安を無くそうと不安をこねくり回してるから
余計に不安が膨らんで動きが止まる。
どっちにしろ視点が内側に向いてる。
行動したいから不安や自信に着目してるのだろうけど、
内向きじゃ余計に外の動きが出にくくなってしまう。
むしろ逆効果ってわけ。

仮に自信ついたとしても、
ちょっとした切っ掛けで折れちゃったりするし。
不安を梃子にってのもケースバイケースだし。
自信を付けるだの不安を減らすだのっていうのは
そもそも見当違いなわけです。

不安なんかどうでもええわ!糞食らえ!
自信なんか無くて上等!むしろ邪魔!
くらいの勢いでいいと思うぞ^^


ホントまじで不安とか自信とか、どぉぉぉーでもいいから!


たとえば、
好きな人との初デートの時。
不安感じるでしょう。
自信ないでしょう。
けど行くでしょう。
わくわくどきどきしながら。

そういうこと。
不安があっても自身が無くても
人は行動出来る!

あなたの行動が滞っているとしたら、
それは間違いなく不安とか自信とかの所為じゃない。

上のデートの例でなぜ行動出来たのかって言えば
お分かりですね。そうです、
 「わくわく」が原動力です。

たのしい未来が見えているから
不安や自信に関係なく身体が動く訳です。

だから、
見つめるべきは不安とか自信とかじゃなくて
希望です。夢です。理想です。未来です。


不安はあって当たり前。
自信はなくて当たり前。
それでも前進出来るのは
そこに希望の光が見えるから。

だからいつでも、
楽しい未来にフォーカス。
刺激的な夢にフォーカス。

これ癖付けるのが行動力増強の秘訣です。
希望力の強度を高める訳ですね。
そう、希望力!
推進力は希望力に比例する。

希望力の妨げになってる現状ってのもあるし、
希望力増強のコツもあるけど
長くなりそうなんでまた今度。


とりあえずは、
不安とか自信とかどうでもいいことは放っておいて
やりたいことを好き勝手にやる。
やっていいし、やるべき。
わがままは正義だから大丈夫!

これだけでもかなり行動力アップしますよ。





ほんじゃまた。








「人間は言語で思考している。」
と言う人は多いが、
僕の観察と実感では少々違う。


言語になる以前の
イメージや感触や感情の
ある種の操作があって、
必要に応じて
それを言語=論理に変換している。

言語を思考に利用する
場合もあるのかもしれないが、
あくまでオプション。

思考の本質は、
イメージ・感触・感情の撹拌と関連付け。
言語はむしろインターフェイスだ。


つまり、一見
言語で考えているようだが
実は違う。
という感じ。


ところで、
 知人のフリージャズドラマーは、
ほとんど喋らない。
いつも笑みをたたえて
独特のオーラでそこに佇んでいる。

ライブセッション後の飲み会で
彼と同席した時のこと、
僕が何気なく、傍にあった
アコースティックギターを手にとって
そのボディーを叩いた瞬間、

それまで静かに和んでいた彼は
「おっ!」と身を乗りだし、
キラキラとしたまなざしで、
俺のプレイ?に注目した。

そしてその時、
彼とのつかの間の
無言のコミュニケーションの中で
俺は直感した。

彼は間違いなく音だけで思考している。

きっと、
彼の世界は音だけで構成されていて、
そこでは言語はほとんど役に立たないのだ。

 
音楽家にも色々あるようで、
クラシックの人は譜面が無いと演奏出来ない。
即興演奏は苦手なよう。

彼らの頭脳の血流を分析してみると、
演奏中は言語野が活発に活動している。
彼らは言葉で音楽していると言うことだ。

対して、ジャズの連中は、
演奏中右脳の働きが激しい。
言語野は活動していない。
譜面が全く読めない人もいる。
彼らはイメージで音楽しているのだ。


また、写実画家達は、
「目の前にあるものが何であるかが
分からなくなるまで筆を執ってはいけない。」
と言う。
 
写実画を描く場合、
言語は邪魔になるからだ。

俺もお絵かき少年だったから、
この感じは良く分かる。

言語は概念という抽象的な記号表現なので、
ありのままのインプットを
ありのまま表現するには
実に不向きツールだ。


所謂絵が下手な人というのは、
たとえば誰かの似顔絵を描く場合、
目はたれ目で、
鼻は鷲鼻で、
顔は丸顔で
・・・
とか頭の中でやっていて、
その言葉のイメージを描いてしまうから、
現実とは似ても似つかない絵が
出来上がってしまう。


だから写実画家達は
「言語による思考を一旦停止する」
という前準備をとても大切にするのだ。


僕自身の経験で一番上手くいった時は、
言語思考を停止すべく、
 視覚感覚だけに集中することに
集中し続けること暫し。

カラーと陰影のグラデーションだけの
マットな画面が眼前に広がってきた。
すっごく変な感じ。

でも、
こうなるとしめたもので、
あとはそれをそのまま紙に移すだけだ。
移している間も、
一体自分が何を描いているのか、
とんと見当が付かない。

ひとしきり移し終わった後、
もとの世界に戻ってくると、
あら不思議。

巧みな写実画が目の前にあった。



言葉を生業にしている小説家や詩人も、
実は根底では言葉では思考していないのではないか。
と俺は思っている。

彼らは日常、
言語化されることのない
「それ」を、
言語で表現することを試みる。
少なくとも芸術家としての
高い志しを持った作家は。

だから、
日常使われている既成の言語だけでは
直ぐ行き詰まる。
そこで、
一旦既成の言語を解体する。

その時彼らが頼りとするものは、
言語思考以外の何かであるはずだ。

未だ語られたことのない「それ」を
語るための言葉を模索するのだから、
既成の言葉の参照は勿論必要だろうが、
それだけで新たな表現を発見出来る筈がない。


俺は作家ではないけれど、
今この駄文を綴りつつ、
自分の深層の動きを観察してみると、

ある種の感触のようなものを頼りに、
言葉の断片を一つ一つ
探ってみては置いていく。
という様子がうかがえる。

俺は言葉が苦手だから、
これはかなりしんどい作業だ。
毎度毎度ほんと、しんどい。


そういえば、
坂本龍一も書くのは苦痛だと言ってたな。
保坂和志は、
すらすら文章が書ける人は
小説家には向かない。
などと言っていた。



創造は、
いつも辿々しく、
苦痛を伴う。





ではでは。







ネットで魅力的な女性を知って彼女に直接会いたくて、
会ったら彼女も気に入ってくれて、
私たちの仲間にならない?って誘われて、
迷ったけど、迷った時にはGOなんで、
彼女の師匠が創ったコミュニティーに、半年程身を置いた。

彼女は信じてるから、ずっとそのコミュにいたいみたいだし
そもそも彼女にとっては、そのコミュが世界のすべてだ。

私と同じように信じなさいと言うが
彼女の信仰の対象は、彼女の師匠が確立した世界観。

半年間彼女に寄り添って、彼女の信仰に寄り添って
明らかになったのは、彼女の師匠はほぼ正解だなってこと。

彼女じゃなくて。



ところで、俺はずっと違和感を持って生きてきた。
どこにいても居心地が悪い。
社会を受け入れられない甘えじゃないかと
自分を責めたりもしたけど
何処に行っても何をやっても
やはりどうしても居心地の悪さが拭えない。

それから、俺の思春期の頃の想い。
何になりたいかは良く分からなかったけど
とにかく自分を極めたいと思っていた。
何をどうしたら自分を極めるということになるかは
分からなかったけど、
とにかくそうしたいと思っていた。
強く自分でありたいと思っていた。

居心地の悪さと自分を極めるということ。
この二つの課題はいつも何となく心の片隅にあって
実はすべての決定や決断の甘さや遅さの原因にもなっていて
何をやっても十分に満たされることのない
不満の原因にもなっていて
どこかで分かっていながら、
相変わらずどうしていいか分からないままでいた。


年を重ねて、経験を重ねて、ネットインフラも整って。


自分を極めるということは、好きや嫌いをかき集めて
その理由を言語化して総合化することだと理解した。
それは独自の世界観の確立ということに他ならなかった。

しかし世界観の確立とは、
世間の善悪良否を忘れ自分独自の正解を基準に
世界を再構築していくことだから、
言葉のズレや肌に合わない空気の不愉快さが増し
孤独感と違和感は一層つのっていく。


自分はあるが、居場所がない。


俺はずっと間違えていて、
何処を探しても居場所がないなら創ればいいのに、
違いを意識しすぎて、その可能性を見落としていた。

世界観を表現し他人に認識されれば
社会的に認められた確固とした個人で、
それは既存社会に自分という独自が顕在化した瞬間だ。

違和感も孤独感も
社会から認知されていないことの反映だから
表現だけが治療薬。

発信しろとよく言われるけれど、
情報を与えるということではなく、発信は自分を生かすことで、
ようやくそれがわかった。



彼女の師匠はそれをやった。
自分の世界観を確立し激しく表現し、
それをを他人に認めてもらって
社会に自分独自の場所を創った。

ほぼ正解とはそういうこと。


けど「ほぼ」なのは、
彼女の師匠がしきりに
自分のコミュを拡大しようとしているところが
ひっかかるからで
居場所を広げたい気持ちも分かるけど
そこまで広げる必要ある?



ところで彼女はと言えば、
他人の価値観に乗っかってる訳で。
それは楽なことなのかもしれないが、
その範囲から出れない不自由さは感じないのだろうか?

というのは余計なお世話というものだろう。



俺は誰がなんと言おうと俺自身にこだわり
俺として社会に自分をねじ込んでいくことが
俺が、俺として生まれてきた価値で
一番の社会貢献でもあるのだから、

それが俺の正義で、正解で、生きる基本だ!









ではでは。