年明けから状況が急変する中、舞台に出ている人はもちろん、去年落ち着いていた頃に取っていたチケットの行方がどうなるか、不安な方も沢山いただろうなと思いながら過ぎていった1月。
幸い、私は持っていたチケットはどれも観ることができて感謝しかないのですが、その中でも「リトルプリンス」は本当に本当に観ることができてよかった、幸せな出会いでした。
観劇から時間が経っても、ふとしたときに歌が浮かんできて、胸がいっぱいになってしまう。
書き留めておきたいと思っても、胸がいっぱいだと言葉って出てこないんだなと実感しています。
でも、やっぱり、心に浮かんだままのその思いを書き留めておきたい。
もう一度再会したい、もっともっと沢山の人に観てほしい舞台だったから。
内容に触れるかもしれないので、明日名古屋公演をご覧になる方はご注意くださいませ。
子供の頃から幾度となく読んだ「星の王子さま」
読んだ後に感じる言葉にできない思い、それがこんなにも鮮やかにピュアに具現化されてしまう。すごいの一言です。
大人の寓話であり、哲学書ともいわれる原作。
その世界を壊さず、そこにこめられてるものを伝える。
しかもミュージカルで。まず、そのことに驚きと衝撃でした。
セットも振付も台詞も音楽もなにもかもが素晴らしい。
映像とマッチした照明、星空の中にいるような宇宙、空の一部になったような感覚。
王子が飛行士に語る物語の中で踊るキツネやバラ、砂漠の砂嵐の一体感。
花の仕草、蛇の動き。
目の前で本が広がってあの物語が動き出しているかのよう。
そして何よりも王子そのものだった土居さんの存在。
年齢を重ねた今だからこそ感じられる台詞の深さと、透明な歌声。
演じているのではなく魂でそこにいるような姿。
オーバードホールで観たウタコさんのビルに重なりました。
あのとき、ウタコさんの人生と共にビルも生き続けてきたんだなと思ったのと同じように、土居さんの重ねてきた人生の中で王子もずっと一緒に生きてきたんだなと。
名作といわれる作品のオリジナルキャストの力の大きさを実感しました。
その土居さんにラブコールを送り(東宝の方も涙を流して土居さんに王子をと説得されたとか)、どんな役でもいいからこの作品に参加したかったといっていたキツネと飛行士二役の井上さん。
キツネと王子が友達になるナンバー「トゥギャザー」
小説では淡々と感じた場面が、幸福感あふれるものになっていたのは、この作品に出られ土居さんとお芝居ができる喜びが井上さんからあふれていたからなのかなと思ったり。
二人の笑顔と歌とダンスに、幸せな涙があふれてきてしまい。
ラストの井上さん演じる飛行士の表情は、土居さんとのお芝居で心が動いてこその・・忘れがたいもので、今まで観た井上さんのお芝居の中で、一番心に残りました。
パンフレットによると、音楽座での初演時は、サンテグジュペリの遺族会から、原作の世界観はミュージカルにはそぐわないので許可できないといわれ、多くの苦労と紆余曲折を経て、1995年上演時に遺族会代表の方から認められ、世界で唯一のミュージカル上演権を与えられたものだとのこと。
原作への敬意と、理解。
とても時間と情熱をかけて作られたものだからこそ、認めてもらえたのだと思います。
今回、身に染みて感じたオリジナルミュージカルの意味。
海外ミュージカルは大好きだし、好きな楽曲も作品も沢山あります。
でも、翻訳上演でいつも感じるのは、歌詞がダイレクトにわかったらどんなにいいだろうという気持ち。
英語と日本語の違い、音符にのせられる言葉の数が圧倒的に多い英語、その中に韻もあればことわざもあれば比喩やダブルミーニング、色んな意味が込められている歌詞は、どんなに優れた訳詞でも100%は伝わってはこない。
メロディーに心躍っても、歌詞は訳詞という字数制限のフィルターがあるからどうしてもワンクッションがあって。歌詞がもっとダイレクトに伝わったら、もっと感動できるんだろうなあと。かといって直訳でも訳詞がフィットしないとどこか違う。
ミュージカル映画を字幕で観ていたときとは違う、小さな違和感はいつもどこかに感じていました。
今回、歌詞がなんのフィルターもなく心に体にすんなり入ってくることを何度も実感しました。これが母国語の持つ力なんだなと。
メロディーも美しいけれど、そこに乗った言葉がダイレクトに心に響く幸せ。
土居さんのために作られた楽曲。
それはもう土居さんの体の一部のようで、最後の「シャイニングスター」は、ひとりでに涙が流れて止まらなくなり・・こんなに歌で涙が出たのって、もしかしたら初めてかもしれない。
思えば、初めて歌って踊る舞台を観たのは宝塚。
スターのために作られた主題歌、お芝居の歌。
いわばオリジナルミュージカルの宝塚歌劇に慣れ親しんできたから、こんなことを感じてしまうのかもしれません。
韓国でも多くのオリジナルミュージカルが作られていると聞きます。
日本でもこのような舞台が数多く生まれたらいいなと思わずにいられません。
一度聴いたら忘れられない歌詞と美しいメロディー。
音楽座の音楽を愛する根強いファンの方が沢山いる、その理由がいまさらながらにわかったような気がします。
そして、再び名作を世に出すということ。
パンフレットで今回演出を担当した小林香さんが、音楽座の作品を再演するにあたって、皆さんが心の中で大切にしている音楽座の名作の、その世界観を壊してはいけないという思いがあり、普段の演出とは違う責任があると書かれています。
演出だけでなく、ずっと音楽座の作品が好きだったという井上さんも、そして出演しているどの人からもこの作品に関わることができる喜びと幸せがあふれているのが客席に伝わってきて、そのことが感動をさらに大きいものにしてくれたんだなあと。
素晴らしい作品だから、また世に出したい。昔その作品を愛した人たちの世界を大事にしたい。よりよい形で届けたい。その気持ちは、どんな作品を「再演」するときにも一番大事なもので、まずそこから始めなかったら、オリジナルの初演のよさは伝わらないと思うのです。
それは宝塚の「再演」でも翻訳ミュージカルの「再演」でも同じことなんじゃないかと。
いい作品だからこそ、繋いでいってほしいと思っても、敬意や愛情が感じられない「再演」はやはり私はする意味がないと思ってしまうのです。
今回、こんな素晴らしい形で名作を繋いでくれた東宝「リトルプリンス」に関わったすべての方に感謝でいっぱいです。
昨日から始まった名古屋公演も明日が千秋楽。
(できれば大阪にも全国にも行ってほしかった)
無事にこの素晴らしい世界が明日も届けられますように。
そして願わくば、今回出会えなかった方たちのためにも、また土居王子と再会できることを夢見て・・。
この写真からは想像できない素晴らしい世界でした。
王子もキツネもバラもすべてが愛おしい。。
また会えますように。
幸い、私は持っていたチケットはどれも観ることができて感謝しかないのですが、その中でも「リトルプリンス」は本当に本当に観ることができてよかった、幸せな出会いでした。
観劇から時間が経っても、ふとしたときに歌が浮かんできて、胸がいっぱいになってしまう。
書き留めておきたいと思っても、胸がいっぱいだと言葉って出てこないんだなと実感しています。
でも、やっぱり、心に浮かんだままのその思いを書き留めておきたい。
もう一度再会したい、もっともっと沢山の人に観てほしい舞台だったから。
内容に触れるかもしれないので、明日名古屋公演をご覧になる方はご注意くださいませ。
子供の頃から幾度となく読んだ「星の王子さま」
読んだ後に感じる言葉にできない思い、それがこんなにも鮮やかにピュアに具現化されてしまう。すごいの一言です。
大人の寓話であり、哲学書ともいわれる原作。
その世界を壊さず、そこにこめられてるものを伝える。
しかもミュージカルで。まず、そのことに驚きと衝撃でした。
セットも振付も台詞も音楽もなにもかもが素晴らしい。
映像とマッチした照明、星空の中にいるような宇宙、空の一部になったような感覚。
王子が飛行士に語る物語の中で踊るキツネやバラ、砂漠の砂嵐の一体感。
花の仕草、蛇の動き。
目の前で本が広がってあの物語が動き出しているかのよう。
そして何よりも王子そのものだった土居さんの存在。
年齢を重ねた今だからこそ感じられる台詞の深さと、透明な歌声。
演じているのではなく魂でそこにいるような姿。
オーバードホールで観たウタコさんのビルに重なりました。
あのとき、ウタコさんの人生と共にビルも生き続けてきたんだなと思ったのと同じように、土居さんの重ねてきた人生の中で王子もずっと一緒に生きてきたんだなと。
名作といわれる作品のオリジナルキャストの力の大きさを実感しました。
その土居さんにラブコールを送り(東宝の方も涙を流して土居さんに王子をと説得されたとか)、どんな役でもいいからこの作品に参加したかったといっていたキツネと飛行士二役の井上さん。
キツネと王子が友達になるナンバー「トゥギャザー」
小説では淡々と感じた場面が、幸福感あふれるものになっていたのは、この作品に出られ土居さんとお芝居ができる喜びが井上さんからあふれていたからなのかなと思ったり。
二人の笑顔と歌とダンスに、幸せな涙があふれてきてしまい。
ラストの井上さん演じる飛行士の表情は、土居さんとのお芝居で心が動いてこその・・忘れがたいもので、今まで観た井上さんのお芝居の中で、一番心に残りました。
パンフレットによると、音楽座での初演時は、サンテグジュペリの遺族会から、原作の世界観はミュージカルにはそぐわないので許可できないといわれ、多くの苦労と紆余曲折を経て、1995年上演時に遺族会代表の方から認められ、世界で唯一のミュージカル上演権を与えられたものだとのこと。
原作への敬意と、理解。
とても時間と情熱をかけて作られたものだからこそ、認めてもらえたのだと思います。
今回、身に染みて感じたオリジナルミュージカルの意味。
海外ミュージカルは大好きだし、好きな楽曲も作品も沢山あります。
でも、翻訳上演でいつも感じるのは、歌詞がダイレクトにわかったらどんなにいいだろうという気持ち。
英語と日本語の違い、音符にのせられる言葉の数が圧倒的に多い英語、その中に韻もあればことわざもあれば比喩やダブルミーニング、色んな意味が込められている歌詞は、どんなに優れた訳詞でも100%は伝わってはこない。
メロディーに心躍っても、歌詞は訳詞という字数制限のフィルターがあるからどうしてもワンクッションがあって。歌詞がもっとダイレクトに伝わったら、もっと感動できるんだろうなあと。かといって直訳でも訳詞がフィットしないとどこか違う。
ミュージカル映画を字幕で観ていたときとは違う、小さな違和感はいつもどこかに感じていました。
今回、歌詞がなんのフィルターもなく心に体にすんなり入ってくることを何度も実感しました。これが母国語の持つ力なんだなと。
メロディーも美しいけれど、そこに乗った言葉がダイレクトに心に響く幸せ。
土居さんのために作られた楽曲。
それはもう土居さんの体の一部のようで、最後の「シャイニングスター」は、ひとりでに涙が流れて止まらなくなり・・こんなに歌で涙が出たのって、もしかしたら初めてかもしれない。
思えば、初めて歌って踊る舞台を観たのは宝塚。
スターのために作られた主題歌、お芝居の歌。
いわばオリジナルミュージカルの宝塚歌劇に慣れ親しんできたから、こんなことを感じてしまうのかもしれません。
韓国でも多くのオリジナルミュージカルが作られていると聞きます。
日本でもこのような舞台が数多く生まれたらいいなと思わずにいられません。
一度聴いたら忘れられない歌詞と美しいメロディー。
音楽座の音楽を愛する根強いファンの方が沢山いる、その理由がいまさらながらにわかったような気がします。
そして、再び名作を世に出すということ。
パンフレットで今回演出を担当した小林香さんが、音楽座の作品を再演するにあたって、皆さんが心の中で大切にしている音楽座の名作の、その世界観を壊してはいけないという思いがあり、普段の演出とは違う責任があると書かれています。
演出だけでなく、ずっと音楽座の作品が好きだったという井上さんも、そして出演しているどの人からもこの作品に関わることができる喜びと幸せがあふれているのが客席に伝わってきて、そのことが感動をさらに大きいものにしてくれたんだなあと。
素晴らしい作品だから、また世に出したい。昔その作品を愛した人たちの世界を大事にしたい。よりよい形で届けたい。その気持ちは、どんな作品を「再演」するときにも一番大事なもので、まずそこから始めなかったら、オリジナルの初演のよさは伝わらないと思うのです。
それは宝塚の「再演」でも翻訳ミュージカルの「再演」でも同じことなんじゃないかと。
いい作品だからこそ、繋いでいってほしいと思っても、敬意や愛情が感じられない「再演」はやはり私はする意味がないと思ってしまうのです。
今回、こんな素晴らしい形で名作を繋いでくれた東宝「リトルプリンス」に関わったすべての方に感謝でいっぱいです。
昨日から始まった名古屋公演も明日が千秋楽。
(できれば大阪にも全国にも行ってほしかった)
無事にこの素晴らしい世界が明日も届けられますように。
そして願わくば、今回出会えなかった方たちのためにも、また土居王子と再会できることを夢見て・・。
この写真からは想像できない素晴らしい世界でした。
王子もキツネもバラもすべてが愛おしい。。
また会えますように。