子供の頃、お正月のいろはカルタで知った「無理が通れば道理がひっこむ」
オリンピック関連の報道を見る度にこのことわざを思い出します。
あらためて辞書で見てみると、道理=物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。とあります。
オリンピック開催のためなら、人として行うべき正しい道を外れて、どんな無理でも通してしまう今の異常な状態。
国内の人流をストップすること以上に、海外から多くの人が来ることのほうが遥かにリスクが生じるはず(コロナだって初期に入国管理をもっと厳しくしていたら、海外渡航を制限していたら、今の状況とは違っていたと思います)
今日も、来日した関係者が都内の医療機関に入院したとの報道が。
国内ではコロナ以外の疾患でも、救急で病院にすぐに運んでもらえない現状がある今の状況で、オリンピック関連の人の入院が増加してしまったら、これからどうなってしまうのか・・。
こういうことは誰もが予測できたことなのに、正しい道を押しのけて無理を通してしまうこと、無理が通ってしまうこと。それはこれから育っていく人たちにとってもマイナスにしかならないことだと個人的に思います。
先日、所用があって久しぶりに立ち寄った街で(知っているお店が何軒もクローズしていて胸が痛くなりました)昔、先輩に連れて行ってもらったお店にランチに入りました。
人気のお店で、階段で並んで待っていると後ろに制服姿の高校生が。
お店の方が人数を確認に来て、彼女たちのところにきたときに「うちは制服での入店はできないんです」と。はっとしました。
嫌な言い方や上からな物言いではなく、お店のポリシーとして静かにでもきっぱりと伝える姿が心に残りました。
お店の中は、静かにそしてゆっくり食事を愉しんでいる人たちがいて心地よい空気が流れていて(一人席カウンターもとてもきれいに食事している女性ばかりでした)なんていったらいいのか・・やはりきちんとした場所にはきちんとした人が集まるんだなあと。
厳しい状況下、ひとりでも多くのお客さんに入ってほしいという気持ちもあるのではないかと思いますが、それでもお店としての基本を大事にする。
いい意味でのお店としての誇り、矜持があるからこういう空気が生まれるのではないかなと感じました。
高校生の彼女たちも、入店できず不満だったかもしれないけれど、、いつか大人になったときに、このお店がちゃんとしたお店だったんだとわかるのではないかなと思うのです。
大人が無理を通してしまう、何でもありにしてしまったら、大人になっていく人たちは正しい道が見えなくなってしまうことだってある。
何でもありではダメなんだと、大人のひとりとして強く心していたいと、日々感じています。
オリンピック関連の報道を見る度にこのことわざを思い出します。
あらためて辞書で見てみると、道理=物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。とあります。
オリンピック開催のためなら、人として行うべき正しい道を外れて、どんな無理でも通してしまう今の異常な状態。
国内の人流をストップすること以上に、海外から多くの人が来ることのほうが遥かにリスクが生じるはず(コロナだって初期に入国管理をもっと厳しくしていたら、海外渡航を制限していたら、今の状況とは違っていたと思います)
今日も、来日した関係者が都内の医療機関に入院したとの報道が。
国内ではコロナ以外の疾患でも、救急で病院にすぐに運んでもらえない現状がある今の状況で、オリンピック関連の人の入院が増加してしまったら、これからどうなってしまうのか・・。
こういうことは誰もが予測できたことなのに、正しい道を押しのけて無理を通してしまうこと、無理が通ってしまうこと。それはこれから育っていく人たちにとってもマイナスにしかならないことだと個人的に思います。
先日、所用があって久しぶりに立ち寄った街で(知っているお店が何軒もクローズしていて胸が痛くなりました)昔、先輩に連れて行ってもらったお店にランチに入りました。
人気のお店で、階段で並んで待っていると後ろに制服姿の高校生が。
お店の方が人数を確認に来て、彼女たちのところにきたときに「うちは制服での入店はできないんです」と。はっとしました。
嫌な言い方や上からな物言いではなく、お店のポリシーとして静かにでもきっぱりと伝える姿が心に残りました。
お店の中は、静かにそしてゆっくり食事を愉しんでいる人たちがいて心地よい空気が流れていて(一人席カウンターもとてもきれいに食事している女性ばかりでした)なんていったらいいのか・・やはりきちんとした場所にはきちんとした人が集まるんだなあと。
厳しい状況下、ひとりでも多くのお客さんに入ってほしいという気持ちもあるのではないかと思いますが、それでもお店としての基本を大事にする。
いい意味でのお店としての誇り、矜持があるからこういう空気が生まれるのではないかなと感じました。
高校生の彼女たちも、入店できず不満だったかもしれないけれど、、いつか大人になったときに、このお店がちゃんとしたお店だったんだとわかるのではないかなと思うのです。
大人が無理を通してしまう、何でもありにしてしまったら、大人になっていく人たちは正しい道が見えなくなってしまうことだってある。
何でもありではダメなんだと、大人のひとりとして強く心していたいと、日々感じています。