まだ日曜日の雪組大千穐楽ライブビューイングの余韻に浸りながらも・・

連日の五輪関連の報道に、

2月に毬谷友子さんがツイートされていた一文が何度も思い起こされます。



このツイートを読んだとき、一言一句同じ気持ちだと感じました。

この1年、誰にとっても失われた部分がある当たりまえの暮らし。
なんとか取り戻したいと、疲れた中で、皆それぞれ頑張っているのに。

2週間の祭り(祭典)のあと、もっとリスクが高くなったら(なると私は思っています)誰が当たり前の暮らしを取り戻してくれるのか。
そのとき、さらに頑張る気力なんてはたして残っているんだろうか。

ここまでしてやらなければいけないオリンピックとは何なのか。

もともとコロナがなくても私は東京オリンピックの招致に反対でした。

子供の頃はスポーツの最高峰の大会とわくわくしながら見ていたオリンピックに違和感を感じたロサンゼルスオリンピック。
炎天下の中のマラソンで、朦朧としながらゴールしたアンデルセン選手、感動よりも普段なら真夏にやらないマラソンをなぜこんな環境でやらなければいけないんだろうと。

その後、初の黒字となったこのオリンピックからアメリカのテレビ局がスポンサーとなり、アメリカのスポーツに大きな大会がない真夏の時期に放映することが決定され、この時期の開催が前提条件になったことを知りました。

これまで、まだ欧米の夏は日本より湿度も低いし、なんとかなってきたのかもしれないけれど、東京の真夏は年々熱帯化してきて、高温注意報がテレビに流れ、熱中症で亡くなる人も出てくるようになったそんな時のオリンピック招致(開催時期は温暖で快適な気候と申し出て立候補したと聞いて信じられなかった)

病人が出たら誰が責任を取るのだろうと、決まってしまったあとも年々上がる気温に心配が募り、結局(案の定)直前にマラソンは札幌に変更になり。
コンパクト五輪と謳いながら、まだ使える競技場を壊し。。

SNSで都民が招致を決めたように書かれているものを見たこともありますが、私の周りで賛成している人なんていなかった。
大阪の都構想のように市民投票にしてくれていたら。。

柔道の山口香さんが今年、緊急事態宣言時にインタビューで、オリンピックの意味と意義を今もう一度考えたほうがいいのではと話されていました。
ワールドカップや有名な4大大会があるプロスポーツも参加する、その意味。
アメリカのTV局の放送時間にあわせて不規則な時間にしなければならない競技。
スポンサーがいなければ開催できないほど巨大な経費が動く大会。

オリンピックから勇気と感動をもらったことはもちろんあるけれど・・

変わってしまったオリンピックの原点を考える機会でもあるのではと思います。


毬谷さんの言葉通り、祭りのあとも私たちの人生は続いていく。
だからこそ、何よりも今、当たりまえの暮らしを取り戻すための最優先のことをしてほしいと思っています。