富山オーバードホール名作ミュージカルシリーズ第6弾「ME AND MY GIRL」
初日から千穐楽までの全日程を無事観劇することができました。
まだ言葉にならない沢山の思いがあふれる中で感想を残すその前に、今回の再演への思いを書き留めておこうかなと思います。
とても個人的な気持ちでもあり・・今書く事に勇気がいることでもありますが・・再演を観ることができたことへの感謝をこめて、正直な思いを。
この作品の再演が叶うことがあったら、そのときは万難を排してでもすべてを観たい。
それは、2013年初演からの強い思いでもありました。
宝塚初演の「ME AND MY GIRL」
大好きという言葉だけでは表せないくらい、大切な特別な宝物のような舞台でした。
いつでもぱっと浮かぶ台詞と情景。
あのランベスウォークの明るさや楽しさを思い出して元気になったり、街灯の場面を思い出して切なくなったり、ビルとマリアの別れ、あのラストシーンの最高に幸せな瞬間を思い出してあったかい気持ちになったり。
宝塚を卒業し離れているときでも、日々のさまざまな場所で鮮やかにそのワンシーンが甦ってくることが何度もあり、そのたびに自分の心にこんなにも強く刻みこまれてしまったことに驚いて、さらに愛おしくなるような、そんな作品でした。
2012年に、オーバードでの上演とキャスティングの一報を聞いたとき、不安だけではなく、観てみようという勇気が、一歩が・・・どうしても出ませんでした。
あまりにもその宝物を大事に思う気持ちが強すぎて・・こわかった。
大切なその箱を開ける勇気が出ませんでした。
それでも揺れに揺れ、迷いに迷い、行かない決心をしたものの、気になって気になって。
初日があけてネットで初めて観た方の感想を拝見し・・もしかしたらこれは自分が間違っていたのでは・・そう思うようになりました。
現地に駆け付けた友人の中にもやはり不安な気持ちを抱いていた人もいたけれど、素晴らしかったとの感想が次々と。
その中でもずっと剣さんを観続けてきて、信頼のおける友人の「単なるノスタルジーを超えた感動があった。ビルそのものだった。リアルだけれどファンタジーで繊細でナイーブで、でも力強くて。ここまでのものを見せてもらえるとは夢にも思わなかった。奇跡だった」との言葉は胸に深く突き刺さるようでした。
(今回、観劇した後、その言葉がリアルに蘇りました)
演じるのに男や女は関係なく人間を演じたい、とは現役時代によく剣さんが話していた言葉ですが、その姿勢は変わることがなく、そしてそんな剣さんだからこそ、人間としてのビルが新しい生命を以て蘇ることができたのではないかなと。ノスタルジーを超えたという感想がそれに尽きるような気がして。
そして、初演のときの想像を超えた苦労とプレッシャーから作り上げ、多くの観客に愛されたビルを剣さんもずっと愛し続けてきたからこその奇跡なんだなと。
あの初演の舞台を観てその思いをわかっていたはずなのに。
もう観に行くことはどうにも間にあわないタイミングで自分を襲った後悔は日に日に深くなり・・おおげさではなく一生の後悔になってしまったようなそんな思いでいっぱいでした。
観たくても観られなかった舞台は沢山あります。
後から知ったものも。
やむにやまれぬ事情で諦めざるを得なかったものも。
それは縁だったと思えるし、仕方なかったと思うこともできる。
でも観ることができたのに、開けられた扉を自分のこだわりで閉めてしまったことの後悔がこんなにも深くて重いものだとは思ってもみませんでした。
そして何よりも信じることの意味を考えさせられました。
勇気を出して信じること。
信じ続けることも愛情であるんだなあと。
念願が叶って座った客席。
目の前でずっとサリーを信じ愛し続けるビルの姿に涙があふれました。
ずっと思い続けること、信じ続ける事。
言葉にすると簡単に思えてしまうけれど、きっとそれはとても尊いものなんじゃないかなと。
2013年上演時の野田久美子さんのブログです→☆
この記事にある剣さんとのツーショットを見たときに、「二人はビルとサリーだったんだなあ」と思い・・この舞台が成功したことを感じました。
このビルとサリーに会えたこと、神様のくれたチャンスに感謝をこめて。
やっと・・この2年間の後悔が少しだけ軽くなったような気がします(^^ゞ
初日から千穐楽までの全日程を無事観劇することができました。
まだ言葉にならない沢山の思いがあふれる中で感想を残すその前に、今回の再演への思いを書き留めておこうかなと思います。
とても個人的な気持ちでもあり・・今書く事に勇気がいることでもありますが・・再演を観ることができたことへの感謝をこめて、正直な思いを。
この作品の再演が叶うことがあったら、そのときは万難を排してでもすべてを観たい。
それは、2013年初演からの強い思いでもありました。
宝塚初演の「ME AND MY GIRL」
大好きという言葉だけでは表せないくらい、大切な特別な宝物のような舞台でした。
いつでもぱっと浮かぶ台詞と情景。
あのランベスウォークの明るさや楽しさを思い出して元気になったり、街灯の場面を思い出して切なくなったり、ビルとマリアの別れ、あのラストシーンの最高に幸せな瞬間を思い出してあったかい気持ちになったり。
宝塚を卒業し離れているときでも、日々のさまざまな場所で鮮やかにそのワンシーンが甦ってくることが何度もあり、そのたびに自分の心にこんなにも強く刻みこまれてしまったことに驚いて、さらに愛おしくなるような、そんな作品でした。
2012年に、オーバードでの上演とキャスティングの一報を聞いたとき、不安だけではなく、観てみようという勇気が、一歩が・・・どうしても出ませんでした。
あまりにもその宝物を大事に思う気持ちが強すぎて・・こわかった。
大切なその箱を開ける勇気が出ませんでした。
それでも揺れに揺れ、迷いに迷い、行かない決心をしたものの、気になって気になって。
初日があけてネットで初めて観た方の感想を拝見し・・もしかしたらこれは自分が間違っていたのでは・・そう思うようになりました。
現地に駆け付けた友人の中にもやはり不安な気持ちを抱いていた人もいたけれど、素晴らしかったとの感想が次々と。
その中でもずっと剣さんを観続けてきて、信頼のおける友人の「単なるノスタルジーを超えた感動があった。ビルそのものだった。リアルだけれどファンタジーで繊細でナイーブで、でも力強くて。ここまでのものを見せてもらえるとは夢にも思わなかった。奇跡だった」との言葉は胸に深く突き刺さるようでした。
(今回、観劇した後、その言葉がリアルに蘇りました)
演じるのに男や女は関係なく人間を演じたい、とは現役時代によく剣さんが話していた言葉ですが、その姿勢は変わることがなく、そしてそんな剣さんだからこそ、人間としてのビルが新しい生命を以て蘇ることができたのではないかなと。ノスタルジーを超えたという感想がそれに尽きるような気がして。
そして、初演のときの想像を超えた苦労とプレッシャーから作り上げ、多くの観客に愛されたビルを剣さんもずっと愛し続けてきたからこその奇跡なんだなと。
あの初演の舞台を観てその思いをわかっていたはずなのに。
もう観に行くことはどうにも間にあわないタイミングで自分を襲った後悔は日に日に深くなり・・おおげさではなく一生の後悔になってしまったようなそんな思いでいっぱいでした。
観たくても観られなかった舞台は沢山あります。
後から知ったものも。
やむにやまれぬ事情で諦めざるを得なかったものも。
それは縁だったと思えるし、仕方なかったと思うこともできる。
でも観ることができたのに、開けられた扉を自分のこだわりで閉めてしまったことの後悔がこんなにも深くて重いものだとは思ってもみませんでした。
そして何よりも信じることの意味を考えさせられました。
勇気を出して信じること。
信じ続けることも愛情であるんだなあと。
念願が叶って座った客席。
目の前でずっとサリーを信じ愛し続けるビルの姿に涙があふれました。
ずっと思い続けること、信じ続ける事。
言葉にすると簡単に思えてしまうけれど、きっとそれはとても尊いものなんじゃないかなと。
2013年上演時の野田久美子さんのブログです→☆
この記事にある剣さんとのツーショットを見たときに、「二人はビルとサリーだったんだなあ」と思い・・この舞台が成功したことを感じました。
このビルとサリーに会えたこと、神様のくれたチャンスに感謝をこめて。
やっと・・この2年間の後悔が少しだけ軽くなったような気がします(^^ゞ