夢の祭典も終わり、花組東京公演が開幕し・・日々色々な宝塚への思いが交錯する毎日です(^^ゞ
心に湧き上がることが沢山ありすぎて、いつも積み残しのまま時が流れてしまうのですが(汗)やはり今年は100周年。祭典の記事も途中のままですが(汗)自分への備忘録も兼ねて、浮かんだこと感じたことを、ちょっとだけでも書き留めておけたらなあと・・。
今日のYahoo!ニュースに「ディズニー復活 裏に伝統重視」 というタイトルの記事が載っていました。
かつては「リトル・マーメイド」「アラジン」などのヒットを飛ばしていたディズニーが2000年に入ってから3Dなどの波に乗リ遅れ苦戦したこと、買収したライバル社ピクサーの創設者ジョン・ラセターの改革が、ディズニーの伝統を重視したものであったことが復活への道になったことが書かれています。
もともとは古巣のディズニーで働いていたラセター氏がディズニーを離れていた監督を呼び戻し、撤退を表明していた2Dアニメーションの制作を決定したことで創られた「プリンセスと魔法のキス」が復活のきっかけになったとのこと。
ただ時代に沿おうとするだけではなく、長い歴史があるものの持つ本当の魅力は何なのか、伝統とは何なのかを理解している人の改革だからこそ、その本来の魅力を失うことなく復活できたのではないかなと思います。
記事にあった
最新作「アナと雪の女王」もディズニーが得意とする童話原作であり、ミュージカルスタイルを取り入れた「ディズニーらしさ=ディズニーの伝統」を追求する作品になっている。温故知新を地で行くディズニー。
という一文を目にし、これこそ今の宝塚に必要なことなのではないかと思えてなりませんでした夢の祭典は、懐かしく幸せな気持ちをもらえる夢の時間でした。
このような幸せをくれたスターや作品を創ってきた制作者や演出家、その人たちが何を大事にして舞台を創ってきたのか。どこを向いて舞台を創ってきたのか。あの幸せな空気を創ってくれていた源は何だったのか。
きっとあの夢の舞台に立った卒業生の方たちも、その舞台を観ていた観客も、天国から見守ってくれていた沢山の方たちも、その真の価値をわかっていたと思うけれど、果たして今の現場にいる人たちにその真価がわかっているのか。伝統の意味を本当にわかっているのか。
本当に伝えようとしてくれているのか。
いつまでも必要以上に現場に携わったり(身を引く潔さも宝塚の美学だと思います)特定の作家の作品の再演を延々と続けることが伝統を伝えることだとは思えないのです。
100周年、宝塚を離れた作家でも呼び戻して一緒に作品を創ってほしい人もいます。
まだ作品が創れるのに表舞台に登場しない人もいます。
もう二度と話を聞くことができない旅立ってしまった人たちが創った舞台の映像をもっと見て観たい。
過去から学ぶことも知りえることも沢山沢山あるのに。
過去と繋がってきたからこその100年。
ノスタルジーに浸ることもファンには幸せなひとときではありますが、未来のために本当の意味で過去を振り返り学んでほしい。
古きを訪ねて新しきを知る。温故知新を宝塚も地で行ってほしいと切に願っています。