最近読んだ本の中でも特に興味深かったのが、豊崎由美さんの「ニッポンの書評」。
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ライターとしてのキャリアも長く数々のブックレビューを書いている豊崎さんが「書評とは何か」について斬りこんだこの著書は、「批評と書評の違い」「ネタばれはどこまで許されるか」「プロの書評と感想文の違い」などなど、興味をそそられる内容が満載で、大いに頷いたり、考えさせられた1冊です。
ちょうど読み終った頃に「ニッポンの書評刊行記念トークイベント」 があると知り、生の豊崎さんの言葉を聴いてみたいと本日参加してきました。
(以下長くなるかもしれませんので、ご興味ある方だけよろしかったら・・(^^ゞ)
トークは豊崎さんと、この著書の巻末でも対談している大澤聡さん、ゲストは「落語評論はなぜ役に立たないか」の著者で雑誌「BURRN!」の編集長でもある広瀬和生さんの3人。
司会進行の大澤さんの舵とりのもとで、洋楽雑誌の編集長でもある広瀬さん(落語がそこまでお好きとは知りませんでした)が時折ロックバンドを引用しながら繰り広げる熱いトークに心の中でにやにやしたり(洋楽ファンの友人のツボにはまりそうなミュージシャン名を連発されてました 笑)豊崎さんの的確なコメントにおお!と頷いたり、あっという間の2時間でした。
大きなテーマは「批評とは何か」。「批評とは作家(創造する人)のためのものであり、書評は読者(受け手)のためのもの」というのが豊崎さん、広瀬さんお二人の一致した意見ですが、作家(創造する人)が育つためには批評も必要であるとも。
特に興味深かったのが、「エンタメにも批評は必要である」という話。
純文学には批評の歴史があり、批評家が存在するが、より大衆に広い支持があるエンタメには批評する人がいないということ、作家といえども自分のことがすべてわかっているわけではなく、優れた批評家によって新たに気付くことも沢山あると。
時には厳しい意見があっても、多くの知識と理解がある人の言葉は最後に残るものがある、批評に打たれ強くなることも成長するうえで必要なことで、それはエンタメでも同じであるとの話はなるほどと思わされました。
確かにエンタメの要素として面白ければそれでいいという部分もあるかもしれませんが、ただ面白いだけじゃない何かがあるものがやはりずっと残っていくものなのではと思いますし、私もそういう作品により心惹かれます。
そういう意味でも本当に残っていく芸術のためには優れた批評家が必要であり、今の日本ではそのような批評家が育ちにくい現状についてお二人とも憂いを感じているようで、色々と考えさせられました。
その流れで、広瀬さんに「誰が落語評論をするのに適しているか」と質問があり、広瀬さんの答えが「石井徹也さん」!!いや~まさかこの名前が広瀬さんの口から出てくるとは!本当にびっくりでした。
石井さんといえば、私が宝塚に一番熱中していた時代に月刊誌「歌劇」の読者投稿欄「高声低声」によく文章を寄せられていた方で、その愛情とそれゆえの厳しさも覗かせる独特の言葉が強烈な印象として残っています。
その後書かれた宝塚本などを読むと、プロの文筆業の方として高声低声ではかなりさじ加減を考えて書かれていたんだなとは思うのですが、それでも褒めるところは愛情を持って最大限に、苦言を呈するところはきっちりとという姿勢は読んでいて気持ちがよいもので、自分がそう感じなかったとしても新たな発見があったりもしたものです。
ここ数年の歌劇の「高声低声」欄にはかつては載っていた「愛ゆえの苦言」が影をひそめ、賛辞のみになっているのが気になります。もちろん心ない言葉や感情ゆえの発言は論外ですが、「愛すればこその批評」を載せることができなくなってしまったら、後退はあっても前進はないのではないか。久しぶりに聞いた石井さんの名前からそんなことにも思いを馳せてしまいました。
広瀬さんいわく、石井さんは客席にいると目立つ方だけど(笑)本当に好きで観ている方で、そういう人でなければ書けないものがあるというようなことを話していて、そういう人の言葉も大切だなと感じました。
言葉は毒にも薬にもなる諸刃の剣でもありますが、人を育てる力も持っているもの。
そのような言葉を持てる優れた批評家が芸術を創る人とともに生まれてほしいと思いました。
文学の世界に限らず、演劇や音楽、落語など広い意味でのエンタテインメントが育っていくためにはどうしたらいいか。その現場に携わっている方たちの熱い気持ちに触れて、その受け手のひとりとしておおいに刺激を受けた貴重な時間でした。
☆豊崎由美さんのインタビュー記事(2008年ごろのものだと思います)です→コチラ
対象とする作品への愛情や敬意をもとに、誠実にその作品を評していくというよりは、自分の頭の良さを披瀝するために小説を利用する、そんな批評が幅をきかせすぎなんですよ。
優れた批評は何かというのは難しいところですが、愛情と敬意、そして誠実さ。このような批評は創る側にもきっと伝わるのではと思わされます。そして受け取る側にとっても、たとえ批評ではなく感想を記するうえでも心したい言葉として残りました。