私は地震のとき、和歌山~大阪に向かって車で移動中で全く気付きませんでした
。
ただ、自宅に戻っても部屋全体がゆっくりゆれてました。
実際の被害は特にありませんでした。
それゆえ、そのときは、いつもより少々強い地震だろうといった程度にしか認識
を持ち合わせませんでした。。
しかしながら、TVを見て唖然としました。
結局、関西にいる我々は、東北にいる方々の恐怖を現実に体験することはできて
いません。
テレビを見た光景から直面した人々の感情・恐怖を想像することしかできないの
です。
そして、我々が存命の間に、この規模の地震が来る可能性は多いにあります。
むしろ1995年の阪神淡路大震災 → 2011年の東北地方太平洋沖地震と
考えれば、あと10年、20年の間に訪れるのは必定と考えた方がよいかもしれ
ません。
そのとき、運悪く、危険な場所にいれば、命を亡くします。
運命というのは、はかないもので、こういうのは人知を超えていることなので、
そうなってしまうのであれば、私は全く逆らう気持ちはありません。死ぬしかな
いと思っています。
しかし、今回私の素直な心情には以下のようなものがありました。
何か釈然としない。
東北の真面目な方々が亡くならなければならない理由はどこにあったのだろうか
?
自然の中で、平和に清らかに、真面目に生きる方々が災害を受ける理由。
むしろ大都会でがつがつしている自分たちの方こそ、神の手により罰を受ける側
ではないのか?
極論ですが、率直にそう感じました。
だから私のようなビジネス人間がそのような形で、地球という大自然から罰を受
けるのであれば、仕方ないと、少なくとも自分では思える。
しかし、健やかで、穏やかな東北の方々が突然、自由を奪われ、恐怖を感じなけ
ればならないのはなぜなのかなぁと色々考えてしまった。
結果、日本人として、今回の災害を受け、考えなければならないことを理解した
。
1995年のときは、私はまだ22歳だった。
社会人として、阪神の地震を体験しました。今でもはっきりと覚えてます。実家
が全壊しました。地震の最中は、この世の終わりだと思いました。
その後、経済的に困難になりました。サラリーマンをやめて全てをかけて1年動き
まくって作った地元のグループが全て崩壊しました。借金まみれにもなりました
。
22才で人生を投げだしたくなるような状況、そこから現在まで18年経ちました。
私は、復興には微力ですが、貢献したいと思います。被災地の方々は、今からが
本当に大変です。
全体の経済損失は、軽く見積もっても数千億以上ということをテレビで見ました
ので、我々の貢献はゴミみたいなものにおわると思います。億の単位ですら今回
の損失を補てんするには遠く及びません。
まさにチリを積もらせて、大きなパワーにするしかありません。
そして、震災被害を最大限手助けできるのは、やはり政府です。
日本の政治の威信がかかっていると思います。
そして、我々日本人全体として、経済貢献する以外にすべきことは、以下のこと
です。
この震災から、1億いる日本人がそれぞれに何を感じ、どう己を変えていけるか
?
かの楽天の三木谷会長は、震災で親戚を亡くし、独立を決意したそうです。
はかない人生の終わりを見て、己が生きている短い間に、最大限できうることに
挑戦しなければいけないんだ、と感じたそうです。
私もそう思います。
どんなに同情しても、現地の方の体験をすることはできません。
どんなに連鎖反応で悲しみに暮れても、合理的・客観的には、何も変わりません
。
そして、今度震災が来ればそのときは、我々が良いも悪いもなく、ある意味では
、天から理由を告げられず裁きを受けるだけなのです。
根本的に、地球に対し、逆らうことは、どう考えても不可能なことです。
とすれば、重要なことは、人生のはかなさを自然との関係の中で知り、生きてい
る間は多くのことに挑戦すると決意を改め、日本人がたくましく生きるよう今ま
でとは異なって生きるように変革できることが、震災がもたらす唯一の贈り物で
はないかと思うのです。
マインドを強く保ち、その士気を被災地へ送り、復興への意欲を燃えたぎらせる
こと。
そして、震災から人間の儚い人生を教訓として得る。
それをベースに、今後の人生を使い尽くし、残された人類として、成果を残して
いくんだと強く考えることが最も重要であると私個人では思っております。
私も木曜日までは、仲間と被災地に対して出来ること等の情報発信をしまくって
、その後は今まで以上に仕事に集中していきます。