雨霽れてああ三百の雫する杉原一司忌の桐の花
あめはれて/ああさんびゃくの/しずくする/すぎはらかずし/きのきりのはな

塚本邦雄(1920-2005)、最後から2番目の第23序数歌集『詩魂玲瓏』(1997,発行柊書房)に収録歌、連作『雨月百首』の一首。
「ああ」というあまりにストレートな感情表現や、杉原一司という名前が、この歌の語り手を、「現実の作者である塚本邦雄」と完全に一致させているとしか見えない点で、異色作だと思います。

ここで追悼されている歌人、杉原一司(1926-1950)は、初期の塚本邦雄の共同作業者。二人の目論んだのは、短歌の歴史的なあり方を乗り越えること。


それまでの近代短歌では、歌の(潜在的なものであれ)一人称話者は、暗黙のうちに、作者と同一視されて読まれてきました。言い換えればそこでは、歌を鑑賞することは、作者のあり方を鑑賞することと、等しい。

ある実在の人物の瞬間の認識が、そのまま透明なメディアとしてのことばに定着するということ。その対象を一挙に把握する体験に向け、自己を鍛えていくこと。


また、短歌は、万葉集以来の、古い伝統によってその正統性を保証されていました。
短歌形を二つに切断し「切れ」を重視する俳句ではなく、自由詩でもない、短歌という詩形は、その本質を正しく踏まえるかぎり、あくまで抒情的に流れなければならない宿命をもっています。

「美しい日本」を、57577のリズムにのって、正しく歌えば、それだけで、歌は美に変わる。歌における話者は、作者と等しいのですから、作者もまた、そこで美しく荘厳されるというわけです。
それが、ごくつまらない小市民的な身辺雑記であっても、はたまた戦時体制への翼賛などであっても。


戦争が終わったとき、多くの短歌(←ずいぶん図式的で乱暴な言い方ですが)はその事態を「ああ、戦争は遂に終わりけり」というような抒情的な詠嘆としてしか表現できませんでした。あるいはただ沈黙するか。それらは数年前には「ああ、大御戦よ」といった抒情的な詠嘆だったわけです。

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉

茂吉の昭和20年、終戦を詠ったとされる名歌です。「百房の黒き葡萄が見よとぞふりそそぐ」というのは、「沈黙」というには、あまりに饒舌に思われますが、塚本の「雨霽れて」は茂吉のこの歌を踏まえているのかもしれません。


杉原・塚本は、そのような短歌の歴史の乗り越えには、まず「方法 メトード」がなければならない、と考えました。彼らは、塚本の実作を杉原が理論的に検討するような形で、共同作業をつづけました。

彼らの「方法」は、歌を象徴表現で重層化し、また、句跨がり・句割れのリズムで耳障りのよい短歌定型をゆさぶり、作者、歌の語り手、読者、の共犯関係を分断することでした。

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫
せいぼぞう/ばかりならべて/あるびじゅつ/かんのでぐちに/つづくかやくこ
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
戦争のたびに砂鉄をしたたらす暗き乳房のために禱るも


既にモダニズム短歌、口語自由律短歌などは、短歌の形式的・内容的な拡大を試みていました。しかし韻律の無視・破壊ではなく、あくまでも伝統的な韻律の中に、そのような否定性を刻印することが、塚本と杉原の望みでした。伝統を捨ててしまえば、伝統の揺さぶりはありえないからです。


杉原は1950年に23歳で死去しますが、その影響は塚本邦雄の中に生き続けました。

その早すぎた死の後に発表された塚本の第1歌集『水葬物語』(1951)の歌風は、杉原との共同作業の結実とされていますし、ランボーとヴェルレーヌの詩と愛をテーマとした第4歌集『水銀伝説』(1961)のタイトル、コンセプトも、杉原の言葉にインスパイアされたものでした。

しかし、第1歌集『水葬物語』に顕著に見られる、日本ともヨーロッパともつかない土地を舞台に、冷笑的な軽みをもった歌世界は、第2歌集『装飾楽句 カデンツア』(1956)では、より重く現実的?になってきているように見えます。

特に、
五月祭の汗の青年病むわれは火のごとき孤独持ちてへだたる

に始まる巻頭の『悪について』は、30首中14回に及ぶ「我」(内一つは「己れ」)という語の集中的な出現が、鮮烈です。
このような一人称的な「我」は、架空の登場人物の演じる劇のようだった『水葬物語』とは異質で、そして、どの「我」も、苦い味をもっています。

喜劇最後まで笑はず出て来しがわが鼻の尖ばかりに雪降る
われに昏き五月始まる血を売りて来し青年に笑みかけられて

このような歌では、「喜劇」や「売血」よりも、そうした現実の景に対する「われ」の沈黙に、表現の中心があります。


『装飾楽句』跋には、所収歌は1951年から1955年までの作歌の「ほぼ逆年順の配列」とあります。
ならば開巻の一連は、この時期の塚本の「réalité」(現実)を希求し、「『水葬物語』的な世界から急速に遠ざからうと試みた」、その時点での、とりあえずの成果といえるでしょう。

塚本は短歌の無条件な一人称性に対立した歌人であり、この連作の「我」は、塚本自身と読まれるべきではないのでしょうが、しかし、巻頭にこの苦い「われ」の連呼。
どうしても『水葬物語』との決別、杉原一司と別れて、『水葬物語』の彼方に向かう「われ」、と重ねて読みたくもなります。


植物の知識とか故事の知識は、修行中...なので間違いもあるかもしれませんが、
しかし解釈にチャレンジ。勉強だ。

杉原一司忌は五月二十一日ということです。
この歌の「桐」は、ゴマノハグサ科の木本で、4~5月が花期。
花の感じを見ると、なるほどまさに、雨霽れて「ああ」という感じだなあ、と思った。

中国の故事で鳳凰がとまるのはアオイ科の梧桐(アオギリ、花期は6~7月)。
『詩経』に典拠がある。
日本では梧桐と、このキリが同一視され、菊に次ぐ高貴な紋様としても使われた。

ここでは、杉原を花期の桐の枝のように、翅をひろげ飛翔の姿勢をとった鳳凰として讃えてるようです。

それから、笙の達人である蕭史と弄玉の夫婦が、遂にその音色に惹かれた鳳凰に乗り、天に去ったというし、周の王子喬の笙の音色も鳳凰の鳴き声にたとえられている。
雅楽の笙も鳳凰のかたちを模している。

そういう鳳凰の楽がここでは「歌」になぞられられているのだろう。


ところで、この『詩魂玲瓏』ではもう一度杉原一司の名が出て来る。『往かば還らじ Ⅲ』という連作の一首目です。

火薬粉粉 杉の花季過ぎつつを杉原一司目覚むるなかれ


杉原と塚本についての事実は、楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(2009,ウェッジ文庫)が、『水銀伝説』までの伝記的事実に加え、そこから塚本歌の考察まで展開する、素晴らしい一冊。
また寺山修司は『黄金時代』に収められた「塚本邦雄論」で、杉原の塚本宛書簡が「水銀伝説」のルーツであると指摘している。


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