2月10日(水)、永田先生の声楽レッスン日にて宮崎台に赴く。
渋谷駅でトイレに行ったら、繰り返しアナウンスが流れていた。
「左が女子トイレ、右が男子トイレ・・・・」
普段は別に気に留めたこともない録音アナウンスなのだが、次の言葉が引っ掛かかった。
「左後方が滝のおトイレです」
なぬ?! 滝のおトイレだあ?
常時、水が流れているトイレなのかな?
私は、小学校時代の男子トイレを思い出した。
それは区切りのない横一列の小便器で、間欠的に上から水が滝のように流れていたのだった。
現代のトイレならもっと瀟洒な造りなのだろう、と私は用を足しながら想像した。
さすが渋谷だ。トイレは本物の滝みたいになっていて、そこを鯉が登る・・・・。
合唱団でも歌った『鯉のぼり』の歌詞が頭に浮かぶ。
百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と 空に躍るや鯉のぼり
鯉に見立てられるのは、もちろん男の子の一番大切なナニだよ、ナニ。
形状はまんざら鯉に似ていないこともないではないか。
それが滝を登る途中で竜に変身するのだ。
大変な膨張率である。
↑森山観月『開運・鯉の滝登り』(ネットからお借りしました)。
それだけの膨張率を保証するためには、滝の上方に透け透けの羽衣を纏った天女の姿が描かれていなければならぬ。エロか芸術かぎりぎりのところに立ちあがった美の化身だ。
・・・・などと妄想を逞しくしながらも、どうも変だぞという正気もしっかり維持しながらトイレを出た。とにかくその「滝のおトイレ」とやらを見てやろうと思った。
アナウンスは相変わらず流れている。
「・・・・左後方は滝のおトイレです」
音声が指示する方を見やると、そこには「多機能洗面所」のパネルが貼ってあった。
お粗末様でした。
レッスン。
千切り発声法を伝授される。昨日の永田先生のブログで語られているように、「準備する」より「持続させる」ことの大切さを実地に教わった。
最近、特に低音域がガラガラかスカスカで、なかなかしっかりした拮抗に持って行けないでいる。原因は、無意識的に仮声帯に引っ掛かるのをいやがっているのではないかと思われた。仮声帯に掛かると咳き込むことがあるからだ。
しかし、レッスンでは恥も外聞もあったものではない。敢えて嫌なところに持って行けなくてはレッスンの意味がない。咳き込むのを恐れずに仮声帯に引っ掛けると自分でも納得のいく声になるし、先生もよしとしてくださる。
引っ掛けたら流すのではなくて持続させることが大切だとのこと。そのためには、わざと極端なヴィブラートをつけることを指導される(千切り発声法)。一瞬一瞬の「現在」こそが勝負なのであって、過去でも未来が勝負なのではない。過去や未来が脳裏に浮かぶとたちまち声が求心性を失って発散してしまう。
先生もおっしゃっていたが、これはまさに禅の世界に通ずるものがある。鯉は鯉であることに徹すればよいのであって、竜になることを夢見てはならないのだ。
ゆたかに振う尾鰭には 物に動ぜぬ姿あり
こうありたいものである。
↓唐突なアドパネル。
↑中世への道筋を切り開くきっかけになった法令ですね。
現実に対応した施策が時代を更新して来たのです。
ありがとうございました。