夕刻、家の近くの歩道を歩きながらゲホッと咳をした。風邪を引いているわけではなく、ただ喉がいがらっぽくなっただけの話だ。しかし、すぐ後ろから歩いてきた若い男がいきなり車道に出て、私を追い越すまでずっと歩道に戻らなかった。
こんな爺さんにコロナを感染させれたら大変だと思ったのだろう。その気持ちも分らないではないので、別に腹も立たなかったのだが、人間と接触することへの警戒感や嫌悪感が昂じて来ると、ギスギスした思いやりのない世の中になっていくのではないかなと心配になった。
宮原昭夫の1972年の芥川賞作品『誰かが触った』を思い出した。ハンセン氏病療養所内の分教場を舞台にして、この病気への偏見を告発した物語である。
小説の始めにこんな場面がある。
新任の加納妙子に対して中学3年生の歌子が手を差し伸べたときに、「妙子はとっさにどうしても手が出せなくて、顔を赤くして、度を失ったにやにや笑いを浮べたまま棒立ちになった。」
妙子が、既にハンセン氏病は特効薬もでき、感染力の極めて弱い病気であることを生徒の前で話した直後のできごとであった。
以前にも書いたが、20年ほど前に清瀬市の国立療養所多磨全生園を何人かで訪ねたことがあった。そこでの経験は、私の中にわずかでも残っていた北条民雄の『いのちの初夜』的なおどろおどろしい印象を完全に払拭させてくれた。言説が社会を不幸にするのだと思った。
今、新型コロナ感染症が危険だとする言説は、医学的・論理的な根拠もないまま世界中に広まっている。大騒ぎしている対象は、まず間違いなく通常のインフルエンザウィルスであるに過ぎない。
にもかかわらず、私たちの社会全体が疑心暗鬼のゲットー化してしまっている。これをおかしいと捉えられない思考のほうがむしろ尋常ではないのではあるまいか。
ありがとうございました。