(ちょっと前にmixi日記に書いたけど、コチラが長いメンテ中で転記しそびれてました)
点とか線とか面とかってのは、実は目に見えないし、手で触れられない、究極に概念的な事柄なのだな。
やっと気づきました。
ジショウ君の日記で「パルス」という言葉に触れて考えてみました。
鉛筆でひいた線は、実は面だから見えるわけで、本来「線」は境界であってそれ自体が線として視覚に捉えられるものではなかろう。
その境界という出来事を「線」と言い習わすという言語文化の段階を経て初めてヒトは境界を線と認識して、線が見えた、と扱うわけだ。
2つの線が交わるその場所を点と呼ぶのでしょう。線が見えない触れないものだとすると点も同様でしょう。
2つの線が、交わる位置に共存すると、二次元の広がりという概念につながるのでしょう。すなわち面。先ほど「面だから見える」と書いてしまったが、線が前提の概念だとすればやはり見えない&触れないなのでしょう。面を真横から見ようとすると見えないはず。
その面状には無いもう1つの線を認識の領域に付け足すと、立体の概念になるわけで。果たしてそれは見たり触ったりできるかというと、出来ないのでしょう。
で、で、で、色々と妄想中。
なのですが、そんな事々について理解を深めると、リズムやら音程やら、それらの取り扱いに於いて如何に振る舞うべきか、について自由を獲得する糸口になるのだと直感しています。
点とか線とか面とかってのは、実は目に見えないし、手で触れられない、究極に概念的な事柄なのだな。
やっと気づきました。
ジショウ君の日記で「パルス」という言葉に触れて考えてみました。
鉛筆でひいた線は、実は面だから見えるわけで、本来「線」は境界であってそれ自体が線として視覚に捉えられるものではなかろう。
その境界という出来事を「線」と言い習わすという言語文化の段階を経て初めてヒトは境界を線と認識して、線が見えた、と扱うわけだ。
2つの線が交わるその場所を点と呼ぶのでしょう。線が見えない触れないものだとすると点も同様でしょう。
2つの線が、交わる位置に共存すると、二次元の広がりという概念につながるのでしょう。すなわち面。先ほど「面だから見える」と書いてしまったが、線が前提の概念だとすればやはり見えない&触れないなのでしょう。面を真横から見ようとすると見えないはず。
その面状には無いもう1つの線を認識の領域に付け足すと、立体の概念になるわけで。果たしてそれは見たり触ったりできるかというと、出来ないのでしょう。
で、で、で、色々と妄想中。
なのですが、そんな事々について理解を深めると、リズムやら音程やら、それらの取り扱いに於いて如何に振る舞うべきか、について自由を獲得する糸口になるのだと直感しています。