三河の小京都(愛知県西尾市) | 趣味人のcolumn

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尾張名古屋を中心とした史跡散策

三河の小京都『西尾』で、春を満喫旅。

 

城内にある旧近衛邸。江戸末期に近衛家に嫁いだ夫人の縁で島津家が建てたもの。桜木御殿とも呼ばれ、近衛忠房邸内にあったが、昭和60年取り壊されることになったのを機に西尾市が譲り受けた。

 

茶室

 

西尾と言えば抹茶。本場で楽しむ。

 

比較的朝早かったので、城と桜を眺めながらゆったり楽しめた。

 

西尾城と言えばこの櫓だが、これは本丸丑寅櫓といい天守ではない。天守は本丸ではなく、二の丸にあったらしい。足利義氏(足利氏3代目当主)が築城した西条城が始まりとされる。

 

満開ではないが、桜もいい感じになってきた。

 

その後、徳川家康の命で城が築かれ、田中吉政のころに城郭が確定された。西尾藩は6万石となり、最終的に大給松平氏が治めて明治を迎えている。

 

御剣八幡宮。足利義氏が宝剣髭切丸を奉納したことからこの名称となった。現在の社殿は土井利長が造営したもの。

 

城と桜はいいものだ。

 

城を出て6万石桜祭りへ。康全寺。吉良氏6代目満貞が建立。満の字をつけて吉良山満全寺と称したが、家康がこの寺に泊まった際に康の字を送られて、西尾山康全寺と改称した(家康は吉良氏を滅ぼしており、吉良氏の名がついた寺を好まなかったのだろう)。

 

6万石まつりは、まったりとした地域のお祭りといった感じ。

 

みどり川

 

昼食後、東条城へ。

 

足利義氏が築城。三男の義継が入り、東条吉良氏が発祥。応仁の乱のときは、東条・西条吉良氏が争い痛み分けで没落。徳川家康により攻められ東条城は落城し、東条吉良氏は滅亡する。しかし家康は13代義安の子義定を旗本として取り立てて、高家吉良氏が発祥するのである。そして忠臣蔵へ。

 

桜は3分咲きくらい?満開だったらさぞ綺麗だっただろう。隠れさくら名所。

 

東条城すぐそばの良興寺。家康に仕えた三浦良興は後に僧になり、この寺を再建。

 

城から数分車で行ったところにある瀬門神社。源頼朝や足利義持が社殿を修理した記録が残るほか、家康が東条城を攻める際に戦勝祈願をしている。

 

ラストは黄金堤。吉良上野介が洪水から吉良領を守るため一夜で築いたとされる堤防。現在は桜の名所となっている。

 

吉良上野介義央。地元では吉良さんと呼ばれ慕われている。

 

こちらも3分咲きぐらい。

 

鎧ヶ淵古戦場。1961年、松平氏と吉良氏が戦った。この時は吉良氏が大勝し、深溝城主松平好景は自刃している。

 

地元の和菓子屋で土産を購入。