奥殿陣屋(愛知県岡崎市) | 趣味人のcolumn

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尾張名古屋を中心とした史跡散策

歴史とくつろぎを求めて奥殿陣屋へ。岡崎だが、豊田市との境にあり、名古屋から30分で行ける距離である。この時期はバラが見ごろ。

 

花ぞの苑。

 

バラ園。

 

 

ギガンジウム。ネギ坊主。

 

陣屋とは、一国一城令で城を持つことができない大名が、城の代わりに置いた屋敷や役所などのこと。ここは奥殿藩の藩庁があった場所である。有名な高山陣屋は幕府の直轄領だったので、役所機能が主であり、また少し違う。

 

奥殿松平家は、松平4代親忠から分家した家系で、大阪の役などで活躍した松平真次(奥殿松平家初代)は先祖ゆかりの大給(松平氏発祥の地である松平郷のすぐそば)の地を望み、大給藩が成立する。その後、4代乗次の時に奥殿に陣屋を移して奥殿藩が誕生する。御殿や役所などが立ち並んでいたが、幕末に長野に移転したことで建物はすべてなくなった。その後、近くの竜渓院の庫裏を移して復元した。なお、11代目の最後の藩主である乗謨は、日本赤十字社の前身である博愛社を設立した大給恒である。

 

竜渓院の庫裏を書院として移築してあり、呈茶が楽しめる。

 

抹茶白玉ぜんざい。贅沢な時間である。

 

休憩後、歴代藩主の廟所へ。

 

初代からずらりと並んでいた。

 

並びきらないのか、3層に渡って建てられている。

 

金鳳亭にて昼食。

 

縁側でも食べられるようだ。

 

軽めにそばをいただく。

 

食後は庭園をぶらり。

 

手前が書院で、奥が先ほどの金鳳亭。

 

資料展示室もあった。永井尚志は奥殿藩主の子だったのか。永井氏に養子に出されたのね。長崎海軍伝習所の総監で、勝海舟などは彼の教え子である。大政奉還にも関わるなど活躍した。ちなみに子孫に三島由紀夫がいる。三島は映画で薩摩藩士の田中新兵衛を演じており、先祖がこれを知ったら驚くだろうなというようなことを言っている(田中新兵衛を捕縛したのは京都町奉行だった尚志であり、尋問する前に自殺させてしまうという不手際をやらかしている)。

 

さぁ、せっかくなので、近くの寺巡りを。先ほどの竜渓院。なかなか趣のある所だ。

 

徳川家康の父、松平広忠が再建している。

 

本堂。

 

続いて松明院。

 

大給松平家(本家 西尾藩)と奥殿松平家の菩提寺。本堂は、両家の寄進により、江戸中期に再建されたもの。

 

信光明寺。山門の奥が保育園になっていて入れないw

 

ぐるっと回って入れた。松平氏3代目の信光が、祖父であり松平の祖である親氏と父の泰親の菩提を弔うため建立した寺である。奥に信光を含めた松平3代の墓があるらしいが、見落とした。

 

観音堂は重要文化財。信光が建立した当時のもので、1478年の棟札が残っている。

 

土産は抹茶味の雪の宿?みたいなやつ。