蓮教寺など(名古屋市名東区) | 趣味人のcolumn

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尾張名古屋を中心とした史跡散策

いかにも名東区という感じの道路。さて、今日は自宅近くの蓮教寺が国の登録有形文化財に指定されたということで、訪ねてきた。近すぎるとなかなか行かないものだ。

 

まずは東勝寺。こんなでかい寺が近くにあったなんてちょっと驚き。高針城主加藤勘三郎の弟勘右衛門が、信長と戦って敗れた後、開創したという。

 

鐘楼は1846年に建立されたもの。近くに住むフィギュアスケートの浅田姉妹が、この鐘を鳴らしに来たこともあったようだ。

 

太鼓堂がある。これは浄土真宗のかなりの寺格がある寺であることを示す。

 

本堂は1787年建立。

 

彫刻も細かい。

 

住宅街の細い道を歩いていくと、保育園が見えてくる。

 

済松寺は、保育園の経営もしているようだ。信長ゆかりの大須の総見寺の末寺である。

 

高帝龍王神。石川家が個人的に祀っている。東勝寺の御用瓦師だったらしい。

 

巨大な木が生い茂っている。高牟(たかむ)神社の境内である。

 

延喜式内神社であるが、社殿は平成6年に不審火で焼失してしまい、今はコンクリート再建となっている。広い境内では、棒の手が奉納されるようだ。

 

さて、昔の面影が残る高低差のある細い道を歩いていると、ようやく蓮教寺に到着。

 

なかなか立派な門構えだ。

 

源頼光が尾張守に任じられた際の創建と伝わる。

 

鐘楼。

 

本堂。建築物すべて江戸中期から後期にかけて建立されており、登録有形文化財に指定されている。5世住職の弟は、柴田勝家に従い各地を転戦し、信長から大鐘の姓をもらって、大鐘藤八と名乗ったという。勝家死後は、ここに戻って余生を過ごしたそうな。

 

猫もまどろむ。