名古屋城―日本最強の軍事要塞(その3) | 趣味人のcolumn

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尾張名古屋を中心とした史跡散策

さあ、それでも何とか正門を突破して西丸突入だ!(ありえないが・・・)

 

(左が西丸。西南隅櫓や多門櫓からの攻撃がえげつない)


ここで名古屋城の櫓について説明する。名古屋城の隅櫓で現存しているのは3つで、すべて重要文化財に指定されている。江戸時代は11基存在していたようだ。しかし規模の割に姫路城や熊本城と比べるとずいぶん少ない。家臣の成瀬家の犬山城でさえ、13基もあったのである。
理由は拠点守備の隅櫓ではなく、連続的な守備が可能な多聞櫓を重視したからである。三浦教授によると、名古屋城の多聞櫓は奥行きが約6メートルもある特大製で、総延長約1240メートル。平櫓として計算すると126基に相当するそうな。広いので長篠の戦いのような鉄砲の連続射撃が可能で、信長の戦い方を見た家康の究極進化バージョン(雨天対応)である。普段は武器庫にしたり、1万人分の食料の保存を江戸時代終了まで続けていた。


特に本丸は正方形で多聞櫓が周りをがっちり固め、南と東の枡形門と連続して繋がっており、日本一堅固な本丸である。唯一天守のところだけ繋がっていないが、これは多聞櫓が火災にあったとき延焼しないための防火対策である。そもそも天守は最大最強の櫓でもあるので、くっつける必要はない。
(恐るべき殺戮櫓ともいえる大天守。その戦闘力は後ほど説明する)

(3つの隅櫓と最強の隅櫓というべき天守。これらを多門櫓で囲んだ正方形の本丸)

 

本丸周りの堀は空堀である。また幅もやや狭め。理由は火縄銃の射程距離(弓矢も有効)で、敵が西の丸や大手馬出などに侵入してきても本丸多聞櫓から攻撃するため。水堀だと敵は入ってこず射撃範囲は限られるが、空堀なら侵入する可能性があるので攻撃もしやすい。つまり積極的に敵をひきつけて銃撃を浴びせる超攻撃型となっている。当然相手方の反撃も想定されるが、分厚い土壁で多少の攻撃ではびくともしない構造であり、しっかりアドバンテージを保っている。

(空堀。左が大手馬出、西の丸。右が本丸で約13メートルの石垣の上にかつて多聞櫓があり、高いところから見下ろす形で西の丸や空堀に降りてきた敵を銃撃可能)


表二之門を目指すと、巨大な大手馬出が立ちふさがっている。三方をフルに多聞櫓が囲っており、鵜の首によって敵は大軍で進めず細い列になって馬出の門を突き破らないといけない。その際に本丸に背を向ける形になるので、そこから無慈悲の銃撃を浴びることになる。
さらに御深井丸からも応援がやってくるので、瞬く間に殲滅されてしまう。血まみれになりながらなんとか大手馬出を攻略すると、ようやく本丸に突入できる。のか?

(大手馬出。敵は進撃スピードを削がれ、しかも細い列にさせられるのに対して、こちらは大手馬出の多門櫓や本丸多門櫓などから広く銃撃を展開できるという非常によくできた構えになっている)


(鵜の首は西側は埋め立てられてしまっているが、東側はこのように残っている。本来は石垣の上に多門櫓がそびえており、よじ登るのは不可能)



(大手馬出跡から二の丸・三の丸方面を望む)

 

名古屋城―日本最強の軍事要塞(その4)