今週は大阪市平野区を探訪してきたので紹介します。


ここに訪れた最大の目的は、全與寺を訪れることでした。これは、明日、明後日のブログにアップします。


今日は平野区の街並みを数か所紹介します。


さて、平野駅に到着。



平野駅前、閑散としてます。




まず最初に訪れたのは、大念仏寺です。




、大念仏寺のHPより

1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。

平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。




とにかく広い!



↓ 本堂の前



↓ 本堂に向かって左側



左側にはマニ車というのがあります。


ネパ-ルバタン市との友好のシンボルとして送られたもので、手で回すとお経を一巻お唱えするのと同じ功徳があると言われています。



↓本堂より右側



ご利益あるかな…?

さて、次にサンアレイ商店街を歩いて、新聞屋さん博物館に行ってみましたが、毎月第4日曜のみ開館のようでした。ここ「小林新聞館」は創業が明治22年で大阪市内で一番古い朝日新聞販売店のようです。






商店街を外れると古い街並みが数多くあります。





↓まだ牛乳配達の箱がありました。他の家でも見かけたから販売してるんですね~叫び



↓かたなの博物館。創業3代目だそうです。




↓長宝寺 解説より抜粋


桓武天皇の妃であった坂上春子姫が、平安時代初めの大同年間(806~810年)に出家して開いた高野山真言宗の寺院であり、坂上家の氏寺でもあります。



境内の銅鐘は鎌倉時代の代表的な作で重要文化財に指定されています。




また、室町時代に当寺の慶心と言う尼さんが地獄へ行って戻り、その様子を記した「よみかえりの草紙」や閻魔王が自ら刻んだという閻魔像と「宝印」が寺に伝わり、毎年5月18日のご開帳の時、おでこに閻魔様の「宝印」を押してもらえば極楽へ行けると伝えられている。


閻魔様は可愛らしいわ(^O^)



閻魔大王様が、1年に2度見られる日が5月18日だったようです。残念!!



↓「まつや」さん。普段は呉服店をしているけど、毎月第4日曜の午後から、平野の風物や行事を50数年にわたり記録した映像や写真を紹介している。変わったお店。





↓ちっこいだんじり館。閉まってた…。毎日開館って書いてあったけど…??。


だんじり祭りと言えば岸和田が有名やけど、周辺ではあちらこちらと、だんじり祭りが開催されているようです。ここ、平野区でも、7月13日にあるようです。



↓今回の目的、全與寺。今日は境内の紹介だけします。




↓昔の電話機でCDに録画された昔話や色々な音を楽しむ事が出来ます。



↓その横には駄菓子屋さんで販売していた、おもちゃやお菓子などの展示がありました。




ここは昭和の雰囲気。



グリコやいろいろなおもちゃが展示されています。



ブリキで作られた船。この中にローソクに火をつけてボイラーを熱すると、ポンポン♪と音をたてながら進む船のおもちゃです。かすかに覚えてます(^o^;)。




オ~懐かしい!!メンコがありました。



ミルキ-の看板…初めてみました(  ゚ ▽ ゚ ;)。




白黒テレビは知ってるけど、このテレビはまだ古いみたい。



上がラジオ。下が今で言う冷蔵庫。




洗濯機。この形は知らないけれど、洗濯機にロ-ラ-が付いてたのは覚えてる。



興味本位で、ロ-ラ-の部分に物を挟んで楽しんでたこと覚えてるわ(^_^;)笑




さて、明日は全與寺をもう少し深く紹介します。


面白いと思います。