僕が色々と虐待を受けてきた中での屈辱度MAXは2歳から5歳まで繰り返された、お尻にマッチの火を付けられる行為。
父親から受けた虐待で、マッチを擦って火を付け、その火をお尻に焼き付ける行為。5歳の頃に親戚の家に泊まりに行き、親戚の子供(いとこ)とお風呂に入って、お尻にやけどの跡が見つかるまで続いた。
おそらく火傷を知った親戚の叔母さんが僕の父親に忠告をしてくれたおかげで「火付け」は止んだ。その他の虐待は続いていくが。
栗原美愛さんの事例から
連日のように報道され「児童虐待」が注目を集めている。
もし彼女が仮に死亡には至らずに成長し大人になっていれば、どのような人格の人間になっていたのだろう。
きっと精神障害やトラウマ、人格障害等の様々な後遺症が彼女を苦しめた事だろう。
問題の本質はここにあると僕は思う。
問題はそのまま大人になってしまった後。
DVという言葉は数年前に市民権を得たが僕らの子供時代には存在しなかった。
虐待を受けてきたにも関わらず、看過され傷だけを残した人達が過去どれだけいるか。
今、僕は生きている。
今、僕の親は生きている。
僕の親は今の時代であればニュースで取り上げられ犯罪者になる。
今リアルタイムで虐待を受けている子供と被害は同質で、心の傷も内容も同質で、違うのは時代だけ。
僕の、もしくは僕らの時代の、虐待を受けた人達の怒りや悲しみや、この傷を僕らはどう解釈すれば良いのだろう?
虐待をした方も、虐待を受けた方も、まだまだ今の時代を生きているし、これからも生きていく。
負の歴史的遺産ではなく、この同じ時代を共に生きている。
僕は1979年生まれ。もうすぐ40歳。まだまだこの時代を生きる世代。
日々、様々なニュースが流れてくるが、「児童虐待」ここに関して、僕は今初めて、自分が何かをしなければいけないのではないのだろうかという使命的なものを感じている。少しおおげさかもしれないが自分にしか出来ない事がありそうな気がする。
自分自身、虐待を受け、今までその後遺症や人格形成で苦しんできた分だけ、今僕がやらなければならない事があるのではないだろうか。
何が出来るだろう?分からないけど。
報道に取り上げられるような事件に至らずに社会に炙り出されずとも、そのまま大人になってしまい様々な障害や後遺症に苦しむ人を見過ごして良いのだろうか?
また虐待を受けた事がきっかけで犯罪者になってしまう人や、自分の家族へのDVという形で継承してしまう等の負の連鎖を見過ごして良いのだろうか?
少しだけ自分のやるべき事のフォーカスが絞られてきたかな。
では、どうすれば見過ごされた虐待の闇を照らす事が出来るだろう?
たとえば今この時代に起きている虐待を食い止めるような事で、過去虐待を受けてきた人達の心の傷を癒すことなんて出来ないよね。
直接関係ないもんね。
僕自身はどうだろう?今虐待を受ける子供達を救うような事がもし仮に僕に出来たとして僕は何かしら救われるのだろうか?
僕の心の傷はふさがるのだろうか?
んー迷いの森だ。
僕が出来る事。
自分の頭を使い、自分の体験から来る怒りや悲しみを力に変えて。
考えろ。
何をすれば良い?
事件やニュースにならずに、看過され見過ごされた傷こそが社会の闇となる。
明るみを見ずして、風化し、身体に染み付いた傷が何らかの形で表出し、別の新たな闇を作り出し、この負の連鎖が続いていく。
分かっているのは「負の連鎖」これが問題の本質だ。
僕の体験と見識から、はっきりと分かる。
ここを放置してはならないのだと僕の体験と見識が示している。
このままでは、僕が年を取り、死ぬ間際の枕元で「お尻に火を付けられ損だな」と遠くを見つめながらしみじみと言ってしまう。
かなりの確率で。
少しずつ見えてきたような?
過去に虐待を受けて、看過され見過ごされてきた人達の心の闇に光を与える行為。
ここを深堀りしていけば僕のやるべき行為が見えてくるかもしれない。
~昨年の船戸結愛さんの虐待事件から~
しつけと称する暴行。5歳で体重わずか12kgの栄養失調。
父親からの暴行直後に死亡した事件で、結愛さんは、ノートに両親への謝罪の言葉を書き綴っていた。「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」亡くなった結愛ちゃんが残した言葉。
これと似た言葉を僕も過去、親に対して発した。僕はノートに書き綴ったのではなく、親の寝室に行き両親に向かって土下座し敬語で「お願いします。小学校の特殊学級(※知能障害を持つ子供達のクラス)には入れないで下さい。許してください。お願いします」と何度も何度も泣いて懇願していた記憶がある。
小学3年生頃の僕は当時仲の良かったクラスメイトと引き離される事ほど恐怖な事はこの世界に無く、それを知っている親は特殊学級に入れる事を良く脅し文句として使っていた。
改めて「クズ親」だ。
書きながら怒りが湧いてくる。
僕はひたすら奴隷のように土下座し懇願したし、実際、奴隷だったのだろう。
船戸結愛さんの叫びを自分の体験とオーバーラップさせて、僕はそれを力に変える事が出来る。
もし彼女が成人出来ていたら、その心の闇を何に変えたのだろう。
きっと彼女なら闇を照らす光に変えたはずだ。
このままでは「お尻にマッチの火を付けられ損」を臨終間際の枕元で言ってしまいそうなので、僕が今,何をするべきなのかをまだまだ考察していきます。
~次回に続く~