前世や過去世が存在したと仮定して、影響について考えてみる。
現世の自分以前に他の存在(映画で例えるなら配役)として生きていたなら、何らかの行動により微々たる事だとしても未来に影響を与えているはずだ。
例えば、誰かを殺すといった行動により殺された人間が行う予定の行動が、全てキャンセルされ未来の状況形成が予定とは違ってしまう。
違ってしまった状況の積重ねにより現世の全てが形成される事に成る。
当然だが・・・現世に生きる人間は、全て過去の人間に影響されている。
とすると、前世や過去世で自分が行った行動の影響が出ても不思議ではない。
現世の自分は反感を持たれ易い。
それは、無意識に反感を持たれる行動をしているからだ。
無意識といっても現世の自分を動かすデータが前世や過去世の蓄積だとすると、元から反感を持たれる行動をする様にプログラムされている事になる。
プログラムの修正が修行であるとするなら難しい事なのは確かだ。
この世に生かされているのは修行の為という前提での事だが、自分と同じく前世や過去世の行動が悪い人ばかりでなく良い人も現世には生まれているだろう。
だとしたら、全ての人が修行の為に生かされているとは限らない。
修行よりも楽しみや更なる善行の為に存在している人も居る事に成る。
地獄に入ってしまったら抜け出すのは難しいのだ。
この世が地獄だと感じるのは、前世や過去世の悪行による現世の自分が存在している状況で、個々の判断により違う。
自分は天国に近くとも他の誰かは地獄だと感じる場合もあるだろう。
プログラムに逆らえずに生きている自分が、反感を持たれる行動により誰かの迷惑に成り、更に反感と憎悪が拡大して行く。
自分は、現世での役割として社会的な影響力が全く無い存在だが、例えば独裁国家の上層部の人間や独裁者だったとしたら・・・
又は、自由資本主義の国家で生きており、それなりの財力や地位にある人間が前世や過去世でプログラムされた行動により現世の状態を形成しているとすれば、全て過去の影響であり現状の改善が難しいのは当然の事だ。
自分も含む全てが決められた流れの中で生かされており、流れに逆らう事が修行なのかという疑問も出て来る。
カルト系霊能者が語る「過去世の浄化とお祓い」 によると「必死に神に祈れば解決する」みたいに主張しているが・・・
自分も含めた全ての人達が、憎悪や反感を持たない状態に至るのは現実的に不可能だろう。
人は憎しみ合い殺しあうのが自然の摂理であり、稀に憎悪や反感を受けたり感じない人間が、この世を何とか存続させているという事に成るかも知れない。