Japan Which Goes to Where | ameblo barex

「どこへ行く、日本」と言われましても・・・

「良い方に行く」なんて思っているのは少数でしょうね。


アメブロランキング1000位以内に入っており、このブログと「お気に入り」で、相互リンクしている形に成っている直接的表現の素晴らしいブログ「安倍は戦争を起こす」は、アクセスが多い分だけ「賛美両論」という感じで、好まれてるのと嫌われているのが極端に増えている様です。

人気があって個性的な芸能人と同じで、知名度が高いとプラスマイナス両方の数値が平行して上がるのが当然でしょう。


自分のブログは、1年以上続けていますが、総合ランキング17000~20000位をウロチョロしている「その他大勢・一般人」ブログの典型的パターンに成っています。

直接的な表現は、なるべく避けて間接的な余談として映画や商品のテーマで、社会や政治経済からスピリチュアルなテーマを主体に続けているつもりです。

あくまでも余談であり、危機感を直接的に表現していても誰の責任であるとか、非難する様な表現を避けているつもりです。

様々な構造的な問題は、政治で何とかすべきというのは短絡的で、社会の状態を代表とされる政治家や官僚だけに改善の責任を依存して良いのかという疑問も出て来ます。

しかし、各個人ではネット上で文章を書く程度しか出来ず、20世紀初頭に起きた暴力的な革命や暴動を団結して21世紀に再現出来るとも思えません。

限界点に達し、自然発生的に何らかの状況に至ると期待する程度です。

何も望まず非難もしないのが一般的であり無意識に無関心という人達が多いもの確かでしょう。

自然に問題意識や反感を持たないのは、主体性に薄く民主主義という制度に適していません。

つまり、日本人の民族性は、一般的に民主主義という制度には向かないが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と同じ「民主主義」というお題目だけの主体的とは無縁の虚構国家であるのが日本なのです。

しかし、虚構により実現不可能な「幸福と錯覚させる状態」が維持されているなら問題無いでしょう。

その中で、幸福と錯覚ている人民の割合が問題なだけで、幸福感の絶対的な規定も存在していません。


批判し合ったり騒ぐのは、一部の特定な人達に任せて、影でコッソリと生きられるだけで幸せだと思い込むしかないのです。


一部の特定な人達ですが、出ているTV番組にも賛否両論が多く、情報偽装内容問題も関係して、打ち切りに成る場合もあります。

ズバリ言い過ぎて、限度を超えるとマズイかも知れないという事でしょう。

しかし、限度を超えそうな強烈な個性にこそ魅力があるのです。

強烈な個性の素晴らしい人達は、何があっても生き方を変えない方が良いですね。

好き嫌いとは別に「世の中に活力と面白さを提供している人達」であるのも明らかですから。


自分は、大勢の傍観者側であるのが一般的で、特定の批判や情報に惑わされずに『主体的な無気力』を基本として、適当にインターネットという媒体で自己満足する程度にするといった感じです。


日本は、どこかに行くでしょうが・・・

「そろそろ着いたか」と感じる頃には、この世に居ないかも知れない世代が半分以上でしょう。

自分も半分以上の中に入っているか世代に近いので「どこに行く」という問題意識より「どこにでも行け」という変化への期待が強いのかも知れません。