早くまとめようと思いながら、なかなか書き進まなかったことをようやく書いてみました。
京都で私が受け取ってきたもの。についてのレポートです(^-^)
『僕アニ』で教えていただいたこと(6/6に掲載していただきました。)の意味や答えを探しに、今月頭に京都まで足をのばしてみました。
☆「執着」について☆
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=dragonest&articleId=10273962144&guid=ON
京都に行けば何かがつかめるかもっていう、単純かつ怠け者な私の発想での旅でしたが、結論から言いますと、私が求めたもの(明確な答え)ではなく、もっと大きなものを受け取って帰ってきました。
゜*:.。。.:*゜゜*:.。。.:*゜゜*:.。。.:*゜
行く前はなんだか焦っていたのかもね。
『僕アニ』で答えをもらった皆さまが、行動に移してどんどん先に進んでいるのにも関わらず、私は何にも変わってないって。
神様からいただいたメッセージを活かせず終わったらどうしようかと。
なんだか本末転倒な感じになってしまってました(^_^;)
今の私の特性ってなんだろう?志や信念ってなんだろう?
頭で考えてわかるはずないのに。
私は考え過ぎると見えなくなるのに、また同じことを繰り返してました。
それに気付けたのは下鴨の神様のおかげでした!
京都に着いて真っ先に行ったのは、大好きな下鴨神社と糺の森。
4月に来たときは寄れなかったからご挨拶しないと~♪
相変わらずここの木々は優しかったです~。私が話しかけるとちゃんと答えてくれますし(^o^)
ただ…本殿横の三井神社の前にたった時に、いつも感じてた"気"流れが感じられなかった・・・。
あれれっ?
ここの3神様は父・母・娘の家族の神様で、面白いくらい、それぞれのお社前の空気感が違うんです。
特にお父さんの加茂建角身命さんはめっちゃ凜とした気を放たれていて、他の神様とは質が違う感じなのです。
が、いつも感じるそれを感じれなかった…。
その日の夕刻、鴨川(私がいたのは加茂川部分)のベンチに腰をおろして、ふたばの豆餅をほうばりながら、
↑悩んでいても食べたいのだ!
「私の特性・・・よくわからないけど、感じることは私にとって大事なんだよな。」
ってふと思いました。
下鴨神社で感じる力が弱くなっていると気付けたおかげではっきりわかったこと。
こういう時の原因はいたってシンプル。
宿題を解こうとし過ぎて、自分の内側ではなくて外の世界に答えを求めてしまってた(;´д`)
あちゃあ(×_×)
マイ神様も呆れていたのでは・・( ̄▽ ̄;)
何度繰り返すんだっちゅーねん。この間違い。
はよ気付け~って。
改めて『僕アニ』の記事読み直したら、なんだか泣けてきて、泣きたいだけ泣いてみました。
食べたり泣いたり、せわしない(笑)
なので翌日は頭使わず、行きたい場所・感覚に任せて行動しました。
心の声最優先☆
もう、ただの観光ですな。
「魂の里帰り」なんて副題は忘れちゃれ
そして初めて行った平等院で、感覚の扉を開いて下さった阿弥陀如来さまとの出逢い
ひとつタイミングを間違えば、私は阿弥陀如来さまに会わずに帰っていたから、本当によかった。
この阿弥陀如来さまは鳳凰堂(正式名称は阿弥陀堂)の中にいらして、約1000年前に創られたそうです。(非常に大きい!)
周りには52体(この時は30数体)の雲中供養菩薩さまが壁を飛んでいる形になっているのですが、
阿弥陀堂に入った時から、空気が全く違う!
なんとまぁ温かな気。
ガイドさんの説明を聞きながら、胸に感じる阿弥陀如来さまの慈愛の波動の大きさと温かさをヒシヒシと感じて、また泣きそう。
全身を包む愛の波動。
なんだか初めての経験でした。
去年10月に泊めていただいた赤穂・普門寺の千手観音さまもすごかったですが。
今まで興味なかった仏像マニアになったりして(笑)
この波動の大きさは、阿弥陀如来さまの大きさに比例してるのかな?とも思いましたが、たぶん違う。
きっとこの阿弥陀さまをみた人達の祈りや、感謝・敬愛の念を1000年分受けていらしたから、こんなにも心地よく感じるんじゃないかな。
ただただ慈愛の気に包まれるって、すごぉく幸せな気持ちになりますね。
(そして高次の波動に触れるとやたらと眠い私。)
有難いことです。
宇治から京都までの帰り道、私は予定じゃなかった駅で突如電車を降りました。
駅名を見たとたん、無性に会いたくなった方がいたからです。
それは大好きな青蓮院の大楠さんです。樹齢800年はあろうかというご立派な方です。
たぶん私が京都に生を受けていた時代は、400~350年前と推測されるので、その頃も大楠さんに会いに来てたかもね♪
夕刻過ぎてお寺さんも閉まっていたから、そこを通る人もほとんどおらず、人目を気にすることなくゆっくり向かい合えました(^o^)v
私の問いかけには答えてもらえなかったけれど、阿弥陀さまと同じように大きな慈愛で私を包んでくれたのです。
(きっとそれが答えだった・・・。)
毎年大楠さんにはパワーをもらっておりますが、こんなに強く感じたのは初めてでした。
長くなったので、後編へ
続く。
今日も読んでいただいて、ありがとうございます(^-^)
京都で私が受け取ってきたもの。についてのレポートです(^-^)
『僕アニ』で教えていただいたこと(6/6に掲載していただきました。)の意味や答えを探しに、今月頭に京都まで足をのばしてみました。
☆「執着」について☆
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=dragonest&articleId=10273962144&guid=ON
京都に行けば何かがつかめるかもっていう、単純かつ怠け者な私の発想での旅でしたが、結論から言いますと、私が求めたもの(明確な答え)ではなく、もっと大きなものを受け取って帰ってきました。
゜*:.。。.:*゜゜*:.。。.:*゜゜*:.。。.:*゜
行く前はなんだか焦っていたのかもね。
『僕アニ』で答えをもらった皆さまが、行動に移してどんどん先に進んでいるのにも関わらず、私は何にも変わってないって。
神様からいただいたメッセージを活かせず終わったらどうしようかと。
なんだか本末転倒な感じになってしまってました(^_^;)
今の私の特性ってなんだろう?志や信念ってなんだろう?
頭で考えてわかるはずないのに。
私は考え過ぎると見えなくなるのに、また同じことを繰り返してました。
それに気付けたのは下鴨の神様のおかげでした!
京都に着いて真っ先に行ったのは、大好きな下鴨神社と糺の森。
4月に来たときは寄れなかったからご挨拶しないと~♪
相変わらずここの木々は優しかったです~。私が話しかけるとちゃんと答えてくれますし(^o^)
ただ…本殿横の三井神社の前にたった時に、いつも感じてた"気"流れが感じられなかった・・・。
あれれっ?
ここの3神様は父・母・娘の家族の神様で、面白いくらい、それぞれのお社前の空気感が違うんです。
特にお父さんの加茂建角身命さんはめっちゃ凜とした気を放たれていて、他の神様とは質が違う感じなのです。
が、いつも感じるそれを感じれなかった…。
その日の夕刻、鴨川(私がいたのは加茂川部分)のベンチに腰をおろして、ふたばの豆餅をほうばりながら、
↑悩んでいても食べたいのだ!
「私の特性・・・よくわからないけど、感じることは私にとって大事なんだよな。」
ってふと思いました。
下鴨神社で感じる力が弱くなっていると気付けたおかげではっきりわかったこと。
こういう時の原因はいたってシンプル。
宿題を解こうとし過ぎて、自分の内側ではなくて外の世界に答えを求めてしまってた(;´д`)
あちゃあ(×_×)
マイ神様も呆れていたのでは・・( ̄▽ ̄;)
何度繰り返すんだっちゅーねん。この間違い。
はよ気付け~って。
改めて『僕アニ』の記事読み直したら、なんだか泣けてきて、泣きたいだけ泣いてみました。
食べたり泣いたり、せわしない(笑)
なので翌日は頭使わず、行きたい場所・感覚に任せて行動しました。
心の声最優先☆
もう、ただの観光ですな。
「魂の里帰り」なんて副題は忘れちゃれ

そして初めて行った平等院で、感覚の扉を開いて下さった阿弥陀如来さまとの出逢い

ひとつタイミングを間違えば、私は阿弥陀如来さまに会わずに帰っていたから、本当によかった。
この阿弥陀如来さまは鳳凰堂(正式名称は阿弥陀堂)の中にいらして、約1000年前に創られたそうです。(非常に大きい!)
周りには52体(この時は30数体)の雲中供養菩薩さまが壁を飛んでいる形になっているのですが、
阿弥陀堂に入った時から、空気が全く違う!
なんとまぁ温かな気。
ガイドさんの説明を聞きながら、胸に感じる阿弥陀如来さまの慈愛の波動の大きさと温かさをヒシヒシと感じて、また泣きそう。
全身を包む愛の波動。
なんだか初めての経験でした。
去年10月に泊めていただいた赤穂・普門寺の千手観音さまもすごかったですが。
今まで興味なかった仏像マニアになったりして(笑)
この波動の大きさは、阿弥陀如来さまの大きさに比例してるのかな?とも思いましたが、たぶん違う。
きっとこの阿弥陀さまをみた人達の祈りや、感謝・敬愛の念を1000年分受けていらしたから、こんなにも心地よく感じるんじゃないかな。
ただただ慈愛の気に包まれるって、すごぉく幸せな気持ちになりますね。
(そして高次の波動に触れるとやたらと眠い私。)
有難いことです。
宇治から京都までの帰り道、私は予定じゃなかった駅で突如電車を降りました。
駅名を見たとたん、無性に会いたくなった方がいたからです。
それは大好きな青蓮院の大楠さんです。樹齢800年はあろうかというご立派な方です。
たぶん私が京都に生を受けていた時代は、400~350年前と推測されるので、その頃も大楠さんに会いに来てたかもね♪
夕刻過ぎてお寺さんも閉まっていたから、そこを通る人もほとんどおらず、人目を気にすることなくゆっくり向かい合えました(^o^)v
私の問いかけには答えてもらえなかったけれど、阿弥陀さまと同じように大きな慈愛で私を包んでくれたのです。
(きっとそれが答えだった・・・。)
毎年大楠さんにはパワーをもらっておりますが、こんなに強く感じたのは初めてでした。
長くなったので、後編へ
続く。
今日も読んでいただいて、ありがとうございます(^-^)