動的平衡論vs機械論 | ぽんマスの読書録

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対話のための材料として気になったところを書きとめておきます。

 こう考えると、ピュシスとしての生命を考えるときには動的平衡の見方でしか本来のあり方をとらえることはできないのですが、実は「動的平衡」は儲からない考え方なんです(笑)

 機械論的に生命を見ると、抗ヒスタミン剤を投与すればその場は効くので、製薬会社はそれで儲けることができます。一方、動的平衡論では、「その治療法は最終的には無力で逆説的に生命にリベンジされてしまうから、花粉症とは騙し騙し付き合っていくしかない」と説くわけです。これは明らかに儲からない考え方ですよね。「動的平衡」や「ピュシスの立場」は資本主義になじまない考え方なんです。

 〈モノ〉として見えないと資本主義社会の中では価値を生みだすことができないのです。「逆限定」が大事だと訴えたところで、「逆限定」という〈コト〉それ自体は商品化できませんから。

 悲しいことに、資本主義社会では、どうしても生命というものを〈モノ〉の延長として考えざるをえないという側面があることも否めません。多くの科学者も、生命や自然を〈モノ〉として研究し続けているわけですから、資本主義社会では「動的平衡」論は常にマイノリティにならざるを得ないんです。

 けれども、動的平衡論のほうが本来の生命のあり方を説明するものであるわけですし、機械論には間違いだけでなく、生命を脅かす危険も実は含まれている。それを私はどうにかしていきたいと 思っているわけです。