競技に出ていると(そして年を取ると)、
「自分たちは結果より内容や過程を大事にしたい」
という声を時々聞きますし、残念ながら、それを負け惜しみだと評する声も聞きます。
ぼくは「誰が何を大事にしてもいい」と思うし、「仮にそれが負け惜しみだったとしても別にいいじゃないか」とも思うのですが…。
「10/27には『27』という背番号について書く」と宣言していましたね。
正確には「背」番号ではないのですが、「27」というゼッケンを特別な番号と考えるスポーツがあります。
F1です。
新人だったジャン・アレジを見た多くのファンは、彼がワールドチャンピオンの証である「1」をつける日が来ると予想しましたが、結局そうはなりませんでした。
ここでF1の詳細は書きませんが、最強マシンを開発することになるウィリアムズ・チームとの契約を破棄し、チーム史上最弱の時代を迎えるフェラーリに加入することになった運命の悪戯について彼は、
「それでも憧れのフェラーリで走った時間は魔法のようだった」
と語っています。誰も負け惜しみとは思わないでしょう。
アレジは本当にフェラーリの27番が似合っていました。
まぁ、「魔法のような時間だった」というのは後になって言えることであって、現役時代は、たとえ中高年のアマチュアだとしても、結果を求めて結果に振り回されますね。それで正しいのだと思います。
ぼくの背番号がどう踊っているのかは、まだまだ今はわかりません。