After Concert -17- | Minstrelsy

After Concert -17-

六日間。それが、僕らに残された時間だった。
間に合わせの編成ではアレンジなど出来るはずもなく、代案の「パッヘルベルのカノン」は楽譜通りに演奏する事となった。
先輩達は去年カルテットとして、僕は以前からのレパートリーとして弾いた事のある曲だ。彼女の妹も友人も、難なく弾ける。練習は調整程度で構わなかった。その調整が上手く行けば、完成したものとして演奏する事が出来るのだ。
納得していると言えば嘘になる。けれど、これは僕が言い出した事なのだ。名前だけでも、出た証を残しておく。登録メンバーの彼女の名前はそのままだ。
そう、彼女の為に。
それが、バラバラになりかけた僕らの心を繋いでいる。
わだかまりが無い訳ではない。彼女の妹とはまだ気まずさが残っているし、一度離脱を宣言した身だ。肩身が狭い。けれどもそれは些末な問題だ。最近やっと、割り切る事が出来た。
彼女は目覚める気配が無い。峠は越えたらしく、何とか集中治療室からは出られた。それが前進と言えば前進だろうか。
友人が手慣れた様子で調弦を済ます。今は第一ヴァイオリンの彼がコンサートマスターだ。
「俺は代理だからな。ミスっても文句言うなよ」
無茶な頼みだったが、ぼやきながらも引き受けてくれた。本当に有り難いと思う。
窓の向こう、イチョウの葉は全て散ってしまった。
秋から初冬へ。季節は移り変わりつつある。


「俺は今日二度目なんだけどな。しばらく弦楽器は見たくねぇよ」
舞台袖、友人が不満げに呟く。
有志のバンドでギターをやり遂げたばかりだと言うのに、息つく暇も無い。引き受けなきゃ良かった、と溜息をついている。
「ぼやくなよ。二回も見せ場があるんだ。おいしいじゃねえか」
友人の兄がそう言って小突く。
「ンだよ。俺緊張するから嫌なんだって」
「一回出て慣れてるだけ良いじゃないか」
ヴィオラの先輩が茶々を入れる。
「緊張しますね…でも」
彼女の妹が僕を見据える。
「お姉ちゃんに聞かせるんです。緊張してるくらいが、丁度良いんです」
「そうだね、そうかもしれない」
僕はそう応じる。先生に録音を頼んだのだ。後で聞けるように、そして、聞かせられるように。
手が震える。情けない、それでも舞台に立ってきたと言えるのか、と自分を奮い立たせる。
今までは自分の為に弾いてきた。けれど今は、心から思う。たった一人、彼女の為に曲を捧げたい、と。
『続いての発表は―――』
司会者のアナウンスが流れる。全員が口をつぐんだ。
『我が校唯一の室内楽団、クインテットです』
実行委員が合図を送る。いよいよだ。
『去年の文化祭はピアノソロ、そして弦楽団のカルテットとして別々に活動していましたが―――』
友人の兄を先頭に、舞台へ。ライトが眩しい。客席のざわめきが、さざ波の様に流れてくる。
『今年、夢の競演が実現致しました』
調弦が始まった。
『注目の楽曲は、名曲「パッヘルベルのカノン」です。共に演奏のプロ。素晴らしい時間を約束してくれる事でしょう』
オーバーな口上が、少しだけ緊張をほぐしてくれる。
生まれたての音が羽根を広げる。飛び立つ時を、弦を振るわせながら待っている。
調弦が終わる。ぴたりと弓が止まった。
僕を見る司会者に頷く。
『それでは、クインテットで「パッヘルベルのカノン」です』
す、と照明が落ちた。客席は見えなくなった。
友人と視線を交わす。
チェロのアルペジオがゆっくりと流れる。傾いた陽の様に、穏やかに、ゆるやかに。


彼女の席だった場所に、今は友人が居る。
友人を入れ、曲を変更してでも出演する事に、迷いや戸惑いが無かった訳ではない。それは友人も同じ事だった。本当に良いのか、と何度も念を押してきた。
「だってその…俺はほら、バンドだってあるし、あの曲弾けないし」
「ヴァイオリン弾けるだろ。パッヘルベルのカノンなら簡単だし」
僕がカルテットと揉めた事も友人は知っている。だからこそ、余計に迷ったのだろう。
背中を押したのは彼女の妹だった。
あなたになら任せられる、彼女ならきっとそう言うだろうと悩む友人に告げたのだ。
「お兄さんから話も聞いてましたし。折り紙付きだって言ってました」
その言葉が本当かどうかは解らない。だが、友人を信頼しての事なのだろう。
それが嬉しくもあり、そして少しばかり、羨ましくもあった。
「先輩には多分何も言いませんよ」
「僕はヴァイオリンじゃないからね」
「違いますよ。何も言わなくても大丈夫って思ってますよ、きっと」
「信頼されてるのか、放置されてるのか、判断しかねるなぁ」
僕がそう言うと、彼女の妹は軽く微笑んだ。優しげな微笑みに、彼女の姿を重ね見る。
自分の気持ちと折り合いを付けるのは、僕以上に難しかっただろうと思う。
「ありがとう。色々と…その」
「それ以上は言わないでください。私はまだ…。それに、本番はこれからです」
優しげな微笑みに、寂しさが混じる。
健気だと思うと同時に、申し訳なさで一杯になる。
「解った。何も言わない」
これが僕に言える精一杯の言葉だった。
胸に抱えた楽譜に目を落とす。書き付けられた題名「After Concert」。彼女の、文字。
この文化祭で奏でる事は出来なくなってしまった。けれど、二度と弾けないとは思っていない。
彼女が戻れば、もう一度出来る。
そう、決めたのだ。
僕の音を、心を、彼女の為に―――。


落とされた照明の、その夕陽色の光の中、一瞬彼女の姿を見た気がした。
ヴァイオリンが高く歌い上げる。寄り添うコーラスを身に纏い、凛とした声で歌う。
風の様に緩やかに、水の様に穏やかに、旋律が会場を満たしていく。
その旋律は、ここで演奏するはずだった彼女と曲を内に抱く。
別れの言葉にも似た輪唱は、一抹の寂しさを添えて過ぎゆく秋へ。
想いは、やがて訪れる冬と、目覚めの時への希望。
伝えられぬ言葉を胸に、指先はカノンを紡ぐ。
静寂が降る。落ち葉の様に、雪の様に降り積もっていく。
演奏が終わった。
舞台が再び、明るく照らされた。会場を包む、拍手と歓声。
息を整え、観衆に礼をする。一際大きな拍手が届いた。
「無事に終わって良かった」
ヴィオラの先輩の言葉に、全員がうなずく。
「俺のお陰だ、感謝しろよ」
友人も安堵しているようだった。
「今日だけは言わせといてやるよ」
「け、素直に感謝してくれっての」
僕の軽口に、友人が突っかかる。普段通りの雰囲気だ。
こうして、僕らの文化祭は幕を閉じた。