After Concert -14-
僕の淡い期待は、当然ながら叶う訳が無かった。
目が覚めたら朝。友人からの着信も残っている。
休みがもう一日あったのは幸いだったのかもしれない。何もやる気が起きず、日がな一日ぼんやりとしていた。寝ているのか起きているのか、自分でも解らなかった。
夢は見なかった。気付いたら眠っていて、気付いたら朝だった。寝た気がしない。
学校はいつもと雰囲気が違っていた。
重苦しい空気に、時折彼女の名が混じる。友人や先輩が誰かに話したのか、それとも彼女の妹から聞いたのか。或いは、先生の話が漏れたのか。
「寝てないのか」
よっぽどやつれていたのか、友人が声をかけてきた。そういう友人も、酷く疲れた顔をしている。
「お互い様だろ」
「まぁな」
担任がやってきて、いつものホームルームを始める。彼女の話は無かった。敢えて言わないつもりなのかもしれない。
少しだけ安心した。今の僕では、これ以上彼女の話を受け止められない。
しかし、クラスメートは黙っていなかった。
先生が何も言わなかった事が逆効果となったのか、授業後は詮索の嵐だった。「普通とは違う理由で学校に来ていない」「何か大変な事があった」という事は解っている彼らにとって、格好の話題だったのだろう。やれ事故に遭っただの、やれ病気になっただの、勝手な憶測が飛び交う。
昼休み、彼女のクラスの生徒から本当の理由が聞かされる。不慮の事故で意識不明なのだ、と。
真相が明らかになった途端、この話題は失速し、誰の口にも上らなくなった。
遠慮した訳ではない。犯人の解ったミステリーに興味を無くしたのと同じ。解ってしまえばどうでもいいのだ。大して仲が良くない、顔も名前も知らない相手の話など、惹き付ける「謎」が無くなってしまえば価値は無い。彼らの態度はそう物語っていた。
午後の授業に入る頃には、彼女の知り合いが数人気に掛けている程度になった。大多数の関心は別の方向にあった。新しいゴシップが見付かれば、彼らはそっちに飛び付く。
怒りを覚えながらも自分に問う。
もし彼女と一緒に居なくても、僕は彼女の事を気に掛けて居られただろうか、と。
「勝手なもんだよな」
友人が声を押し殺して呟く。必死に堪えているのがよく解った。
「見ろよ、あいつら…笑ってやがる。理由が解れば後はどうでもいいのかよ」
「どうでもいいんだろうね」
「他人事か。あいつらの存在の方がどうでもいいぜ」
「言い過ぎだって。聞こえるよ」
「知るかよ」
もしも、別のクラスの誰か、顔も名前も知らない誰かが同じ目に遭ったとして、果たして僕は相手を心配し続けられるだろうか。
出来ない、と思う。クラスメートと同じく、興味を無くしてしまうだろう。彼らにとって、それが彼女だったのだ。そう、それだけの事なのだ。
その彼女は、僕や友人を含め、彼女を知る人間にとってはかけがえのない存在なのだ。
それを理解するだけの気配りが彼らには出来ない。僕はそう自分を納得させていた。
「人の気持ちも理解出来ない相手なんて、僕にとってはどうでもいいんだよ。居ても居なくても変わらない」
僕の言葉に、友人は口をつぐんだ。
「お前が本気で怒ってるの、初めて見た気がする」
怒っている訳じゃない、と呟く。
僕が怒っているのは彼らではない。彼女を襲った不慮の事故、何も出来ない自分―――理不尽な現実に対する怒りだ。僕の言葉は八つ当たり以外の何物でもない。解っていても止められない。それこそ、理不尽だと解っていても。
放課後、僕の足は自然と音楽室へ向いていた。
彼女が居ない事は解りきっている。それでも、音楽室へ行けばもしかしたら来るんじゃないか、そう思えてならない。
僕はまだ、現実から逃げている。
音楽室には、誰も居なかった。当然だろう。こんな時に練習だなんて、考えられる訳がない。
飴色の光が教室を包んでいる。伸びる影が、琥珀に閉じ込められた虫の様に横たわっている。イチョウの葉が、さざ波の様に震えている。夢の様に、蝶の様に、きらきらと細かく震えている。彼女と最後に会った時も、イチョウが眩しかった。
彼女と最後に話してからまだ三日程しか経っていないのに、随分と前の様に感じる。
あの日。眩暈がすると言って、倒れかけた彼女。その時から調子が悪かったのだろう。ただの風邪だったのか、それとも色々重なったかからか。
帰りがけ、ドアに遮られた言葉。彼女は僕に何を言おうとしていたのだろう。
唇を噛む。どうして素直に聞こうとしなかったのだろう。
「ああ、来てたんだ」
その声に振り返る。友人の兄だった。
「一昨日は…ありがとうございました」
「あぁ、兄さんな。悪かったな、若葉マークとは思えねえくらい酷い運転で」
「いえ、そんな事は」
「事故起こしたらどうするつもりだったんかねぇ…」
そう言って彼は笑った。無理して笑っているのが解る。乾いた笑い声は、すぐに真剣な顔に戻った。
「これから、どうする?」
これから。文化祭の発表の事だろう。
「俺達は文化祭に間に合うとは考えられない」
「でしょうね…あまり考えたくはないですけれど」
「あの話…君の言う通りにすべきだと思う」
「…え?」
「君はソロに戻るといい。後は…出るか出ないかは、俺達で考える」
そうだった。僕と彼女が最後に話していた事だ。ソロに戻るつもりだと、自分で言い出したのだ。
けれど、気持ちは晴れない。希望通りになるというのに。
「待ってください」
駄目だ、ともう一人の自分が叫んでいた。逃げてはいけない、と。
「確かに、ソロでやるつもりでした。あの子と一緒にはやりづらいと、正直なところ今も思ってます。けれど」
声が詰まる。
「もし僕が抜けたと知ったら、彼女はきっと、自分を責めると思います」
迷っている、とあの時彼女に伝えていたのだ。だから彼女はまだ、僕が辞めると思っていないのかもしれない。少なくとも辞めないでくれと望んでいた。だから。
「やる曲を変えても構いません。形だけでも出ておいた方が良いと思います。それで、彼女も形だけは、参加する事が出来る…」
「そこまで拘るのは、何故?ソロに戻ると決めていたのに?」
彼が僕の言葉を遮る。その視線は、哀れみの色だ。
「彼女が戻ってくると信じて、出来る事をしたいだけです。だから、いつ帰ってきても良いように…帰る場所を、彼女の出来る事を、残しておきたいんです」
僕らが、クインテットが存続していれば、彼女のやる事は出てくる。コンミスとしての職務は残るのだ。彼女が僕らの事を忘れてしまっても、今までと同じ生活が出来なくなったとしても、それでも構わない。
「彼女の出来る事を、帰る場所を、一つでも多く残してあげたいんです。今更ですけど、もしも戻れるのであれば…。それが僕に出来る事だと、思うんです」
先輩は黙っていた。しばらくして、そうか、と溜息と共に呟いた。
「君はそこまで…」
「その…僕はただ…」
「責めてる訳じゃないよ。…明日、お見舞いに行こう。少しだけど、面会出来るみたいだから」
車が無理ならバスになるかもしれないよ、と彼は笑う。僕も少しだけ笑った。
彼女はまだ夢の中に居る。僕らが会いに行けば、きっと目を覚ましてくれるだろう。
だから、泣いてなんかいられない。
目が覚めたら朝。友人からの着信も残っている。
休みがもう一日あったのは幸いだったのかもしれない。何もやる気が起きず、日がな一日ぼんやりとしていた。寝ているのか起きているのか、自分でも解らなかった。
夢は見なかった。気付いたら眠っていて、気付いたら朝だった。寝た気がしない。
学校はいつもと雰囲気が違っていた。
重苦しい空気に、時折彼女の名が混じる。友人や先輩が誰かに話したのか、それとも彼女の妹から聞いたのか。或いは、先生の話が漏れたのか。
「寝てないのか」
よっぽどやつれていたのか、友人が声をかけてきた。そういう友人も、酷く疲れた顔をしている。
「お互い様だろ」
「まぁな」
担任がやってきて、いつものホームルームを始める。彼女の話は無かった。敢えて言わないつもりなのかもしれない。
少しだけ安心した。今の僕では、これ以上彼女の話を受け止められない。
しかし、クラスメートは黙っていなかった。
先生が何も言わなかった事が逆効果となったのか、授業後は詮索の嵐だった。「普通とは違う理由で学校に来ていない」「何か大変な事があった」という事は解っている彼らにとって、格好の話題だったのだろう。やれ事故に遭っただの、やれ病気になっただの、勝手な憶測が飛び交う。
昼休み、彼女のクラスの生徒から本当の理由が聞かされる。不慮の事故で意識不明なのだ、と。
真相が明らかになった途端、この話題は失速し、誰の口にも上らなくなった。
遠慮した訳ではない。犯人の解ったミステリーに興味を無くしたのと同じ。解ってしまえばどうでもいいのだ。大して仲が良くない、顔も名前も知らない相手の話など、惹き付ける「謎」が無くなってしまえば価値は無い。彼らの態度はそう物語っていた。
午後の授業に入る頃には、彼女の知り合いが数人気に掛けている程度になった。大多数の関心は別の方向にあった。新しいゴシップが見付かれば、彼らはそっちに飛び付く。
怒りを覚えながらも自分に問う。
もし彼女と一緒に居なくても、僕は彼女の事を気に掛けて居られただろうか、と。
「勝手なもんだよな」
友人が声を押し殺して呟く。必死に堪えているのがよく解った。
「見ろよ、あいつら…笑ってやがる。理由が解れば後はどうでもいいのかよ」
「どうでもいいんだろうね」
「他人事か。あいつらの存在の方がどうでもいいぜ」
「言い過ぎだって。聞こえるよ」
「知るかよ」
もしも、別のクラスの誰か、顔も名前も知らない誰かが同じ目に遭ったとして、果たして僕は相手を心配し続けられるだろうか。
出来ない、と思う。クラスメートと同じく、興味を無くしてしまうだろう。彼らにとって、それが彼女だったのだ。そう、それだけの事なのだ。
その彼女は、僕や友人を含め、彼女を知る人間にとってはかけがえのない存在なのだ。
それを理解するだけの気配りが彼らには出来ない。僕はそう自分を納得させていた。
「人の気持ちも理解出来ない相手なんて、僕にとってはどうでもいいんだよ。居ても居なくても変わらない」
僕の言葉に、友人は口をつぐんだ。
「お前が本気で怒ってるの、初めて見た気がする」
怒っている訳じゃない、と呟く。
僕が怒っているのは彼らではない。彼女を襲った不慮の事故、何も出来ない自分―――理不尽な現実に対する怒りだ。僕の言葉は八つ当たり以外の何物でもない。解っていても止められない。それこそ、理不尽だと解っていても。
放課後、僕の足は自然と音楽室へ向いていた。
彼女が居ない事は解りきっている。それでも、音楽室へ行けばもしかしたら来るんじゃないか、そう思えてならない。
僕はまだ、現実から逃げている。
音楽室には、誰も居なかった。当然だろう。こんな時に練習だなんて、考えられる訳がない。
飴色の光が教室を包んでいる。伸びる影が、琥珀に閉じ込められた虫の様に横たわっている。イチョウの葉が、さざ波の様に震えている。夢の様に、蝶の様に、きらきらと細かく震えている。彼女と最後に会った時も、イチョウが眩しかった。
彼女と最後に話してからまだ三日程しか経っていないのに、随分と前の様に感じる。
あの日。眩暈がすると言って、倒れかけた彼女。その時から調子が悪かったのだろう。ただの風邪だったのか、それとも色々重なったかからか。
帰りがけ、ドアに遮られた言葉。彼女は僕に何を言おうとしていたのだろう。
唇を噛む。どうして素直に聞こうとしなかったのだろう。
「ああ、来てたんだ」
その声に振り返る。友人の兄だった。
「一昨日は…ありがとうございました」
「あぁ、兄さんな。悪かったな、若葉マークとは思えねえくらい酷い運転で」
「いえ、そんな事は」
「事故起こしたらどうするつもりだったんかねぇ…」
そう言って彼は笑った。無理して笑っているのが解る。乾いた笑い声は、すぐに真剣な顔に戻った。
「これから、どうする?」
これから。文化祭の発表の事だろう。
「俺達は文化祭に間に合うとは考えられない」
「でしょうね…あまり考えたくはないですけれど」
「あの話…君の言う通りにすべきだと思う」
「…え?」
「君はソロに戻るといい。後は…出るか出ないかは、俺達で考える」
そうだった。僕と彼女が最後に話していた事だ。ソロに戻るつもりだと、自分で言い出したのだ。
けれど、気持ちは晴れない。希望通りになるというのに。
「待ってください」
駄目だ、ともう一人の自分が叫んでいた。逃げてはいけない、と。
「確かに、ソロでやるつもりでした。あの子と一緒にはやりづらいと、正直なところ今も思ってます。けれど」
声が詰まる。
「もし僕が抜けたと知ったら、彼女はきっと、自分を責めると思います」
迷っている、とあの時彼女に伝えていたのだ。だから彼女はまだ、僕が辞めると思っていないのかもしれない。少なくとも辞めないでくれと望んでいた。だから。
「やる曲を変えても構いません。形だけでも出ておいた方が良いと思います。それで、彼女も形だけは、参加する事が出来る…」
「そこまで拘るのは、何故?ソロに戻ると決めていたのに?」
彼が僕の言葉を遮る。その視線は、哀れみの色だ。
「彼女が戻ってくると信じて、出来る事をしたいだけです。だから、いつ帰ってきても良いように…帰る場所を、彼女の出来る事を、残しておきたいんです」
僕らが、クインテットが存続していれば、彼女のやる事は出てくる。コンミスとしての職務は残るのだ。彼女が僕らの事を忘れてしまっても、今までと同じ生活が出来なくなったとしても、それでも構わない。
「彼女の出来る事を、帰る場所を、一つでも多く残してあげたいんです。今更ですけど、もしも戻れるのであれば…。それが僕に出来る事だと、思うんです」
先輩は黙っていた。しばらくして、そうか、と溜息と共に呟いた。
「君はそこまで…」
「その…僕はただ…」
「責めてる訳じゃないよ。…明日、お見舞いに行こう。少しだけど、面会出来るみたいだから」
車が無理ならバスになるかもしれないよ、と彼は笑う。僕も少しだけ笑った。
彼女はまだ夢の中に居る。僕らが会いに行けば、きっと目を覚ましてくれるだろう。
だから、泣いてなんかいられない。