今回のタイトルは「布石」。
大差となってしまった今回のクラシコにはさまざまな「布石」が隠されていた。
その中でも僕がとりわけ印象に残ったシーンを一つ紹介し、そこからフットボール的な本質に向かってみたいと思う。
バルサの2点目。
前々回のクラシコの分析で、「あれはカシージャスのミス」という節のことを書いた。
http://ameblo.jp/barcelonanosyasou/entry-10722421338.html
実はこのミス、起こるべくして起こった。
前半4分。
バルサのコーナーからの流れで、右サイド前を向いてボールを受けたメッシは、ノーモーションでのキックでレアルDF陣とGKカシージャスの虚を突くループシュートを放った。
誰もが「まさか」と思ったシュートの軌道は、緩やかな弧を描いてゴールに向かうも、内側のポストに当たって跳ね返された。
「あわや」にヒヤリのレアルDF。嘆息に満ちたカンプ・ノウ。
それから5分後にあえなく先制点が生まれるのだが、このループシュートの布石はその約15分後にフットボール的な影響をしかとピッチに爪痕として残した。
バルサの2点目。中盤でシャビ、イニエスタ、メッシがおもしろいようにパスをつないでサイドを変え、左サイドでビジャが「待ってました」とばかりに突破。セルヒオ・ラモスをかわして上げた低いグラウンダーのクロスをペドロが押し込む形で生まれた。
この2点目。以前も言ったが、カシージャスはあのボールは前に弾かなければならない。しかし、あの局面、前に出れなかった。なぜか?
カシージャスの脳裏に、メッシのループの残像が残っていたからだ。
ビッグチーム同士の対戦になると、しばしばGKに対する責任や求められるプレーも多くなる。1対1だろうが、フリーで打たせようが、局面によっては「止めなければならない」瞬間がある。
カシージャスの反射神経であれば、あの速度、球威は反応速度内。現にカシージャスはリーガでももっと信じられないような神セーブを連発している。
そうなると、あの場面、テーマになってくるのは「読み」。
カシージャスは、メッシに虚を突かれたことにより、その「読み」を狂わされたのだ。
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例えばこのシーンのように、フットボールにおいては、「布石」となるプレーがいくつも存在する。
それを局面だけ切り取って「ミス」だと決め付けるのは早計だし、フットボール的にはナンセンスだと僕は思う。
ではあのシーンはメッシのシュートミス?中に味方はいた。フリーな選手にパスした方がその局面では正しい選択肢だったのではないか。
もちろんバルサの2点目だって、そこにメッシのループが布石になったのだって、結果論かもしれない。
しかし、ここで僕が言いたいことは、フットボールにおいては「良いミス」と「悪いミス」があり、「良いミス」を積み重ねることは成功・結果に大きく反映する、ということだ。
そこを「観れる」ようにすることが、まずは肝要ではないかと思う。
スペイン人とフットボールをしていて思うのは、彼らには、感覚的に、本能的にわかるんじゃないかなぁ、ってこと。「良いミス」と「悪いミス」の違いが。
その場面でミスがあったとしても、そこでボールを失ったとしても、それが「良いミス」であれば、「ビエン!」(ナイス!)という声が飛ぶ。
「良いミス」とは、狙いのあるミスであり、意図・考えが含まれたミスであり、積極的なミス。
「悪いミス」とは、消極的で、集中力に欠いたミス。
自分の実感では、「良いミス」を積極的に続ける、続けられる選手というのは、強い。そういうヤツは、生き残っていく。
逆に「悪いミス」あるいは「可もなく不可もなく」という場当たり的なプレーをしてしまう選手は、需要が徐々になくなっていくような気がする。
「良いミス」=「布石」
「布石」を睨んだプレー。インテリジェンスに溢れたプレー。
フットボールの本質へ。