前々回の記事で、「ChispaTicui-taca」について書きましたが、その詳細はまた次回。前回の「次回へ続く」ともまた違った方向性で、今日は、僕自身のことを少しご紹介したいと思います。


僕は今、スペインでサッカーをやっています。選手として、です。まぁまだまだいちアマチュア選手なのですが・・・僕の経歴とスペインのサッカー選手事情、スペインに来た経緯などを簡単に僕なりに綴ってみたいと思います。


僕は現在23歳です。こちらに来て2年が経過しました。つまり、21歳の時に、「リーガエスパニョーラでプロになる」ことを夢見てスペインに来ました。



日本にいた頃は、高校時代こそ無名だったものの(都の地区予選で1回戦負けするチームにいたもので)、新潟にあるサッカー専門学校「Japanサッカーカレッジ」に無謀にも「プロ選手」を目指して進学。プロの下部組織として機能するこの学校で、しかし誰にも予想できず、気持ちの強さと思った以上のサッカーの才能が開花し、4軍から始まりAチームまで登りつめます。チームメイトで周りにいたのは全国区の選手たち。中には今日本でプロでやっている友達もいるほどです。




20歳時に受けたプロテストでも、(いくつか受けた中で)1チームだけ最終選考に残ります。だがしかし、儚くも「Jリーガー」になる夢は叶わず、僕は更なる挑戦を決意します。

「歳も歳だし、どうせ1回の人生、そしてサッカー人生。海外で本気でサッカーで挑戦してみたい。今なら自信もあるし、きっとやれる。道を切り開いていけるはずだ」



自分の才能への自惚れが、はたまた若さゆえの勢いか、対して深く考えもせず(いや、そりゃ多少は悩みました。人間ですから)、知り合いがいたことも後押しして一大決心バルセロナへ。

さぁ来ましたバルセロナ。スペインは登録上の問題で3部と4部は外人がプレーできない。それも知っていた。だったら5部で大暴れしてやる。スペインで一泡吹かせてやる・・・




そんな青年の大志はスペイン・フットボールの分厚い壁に難なく打ち消される。



言葉がわからない。そんな人間を、こちらで生活しているまともな人間が相手にできるはずもなかった。自分で行動しても、「No~No~」の一点張りで、チームどころかサッカーするところすらまともに確保できない。



来る時期も悪かった。日本で申請したビザが下りたのは10月。こちらでは、シーズン開始直後。どのチームも、既に登録メンバーを決めていた。それでも4カ月ほどして、言葉を覚え始めた頃、ようやく道が切り開け始める。トライアウトをしてくれるチームが見つかった。

1チーム目。6部に属するチームのセカンド・チームだった。2週間のトライアウトの後、「登録の枚数に空きがない」という理由で断られた。


2チーム目。1チーム目の紹介もあり、近場に位置する、8部に属するチーム。1週間のトライアウトの後、同じ理由で断られる。



3チーム目。同じく紹介を通じても近場のチーム。9部という一番下のリーグ。形振り構っていられなかった。



2週間のトライアウトの後、晴れて登録が許される。その週末のデビュー戦で、決勝ゴールのアシストを記録。そこでめでたくチームにも受け入れられ、途中合流という難しい状況ながら、デビュー戦での結果によって徐々に出場機会を増やしていく。



3カ月弱の9部でのプレーの後、1年目のシーズンは終了。


僕の希望は再び大きな翼を広げることとなる。



「シーズン前の時期で、今なら言葉もだいぶわかる。きっともっと高いレベルのチームでプレーできるはずだ」

しかしそうは問屋が卸さない、という現実が、またしてもこの青年に降りかかることになる。


続きはまた今度