先日のテーマに沿って、もう少し奥深く掘り下げてみます。


例えばプロのサッカー選手。そこに行き着けば、金も地位も名誉も一挙に手中に収まり、一般の人がうらやむような生活が保障されるでしょう。いつ大きな怪我が襲って選手生命を脅かされるかわからない、という意味では大きなリスクも背負ってはいますが、それでももし多少の才能と資質に恵まれたら、本人はおろか家族もそこに夢を投影するのは想像に難くない行いです。


ですが、そこに、日本とスペインでは大きな考え方の相違があります。


以前書いたのですが、日本のサッカー界は「神格化」されすぎています。


スペインでは、サッカーというものが文化として根付いており、日常生活とリンクしていることもあって、もっと現実的にサッカーを捉えます。


例えば、エスパニョールのユースの選手。彼らは、リーガ1部への道が現実的に捉えられる位置まで勝ち上がってきた、いわば「エリートクラス」の選手たちです。よってもちろん環境は設備され、高校生でありながらも練習は朝に行われ、選手によっては立派に給与を与えてもらっている選手も見受けられます。


だがしかし、その選手たちが一概に「俺は将来プロになるんだから、他のことなんてどうでもいいや。サッカーだけやってりゃいいんだ」という考え方をするかといえば、答えは「ノー」です。


彼らのほとんどが、もちろんエスカレート式にトップチームに上がり、1部でプレーできるわけではありません。18歳かそこらで、リーガ1部でバリバリでレギュラーで活躍する。そんな選手はほぼ皆無なのです。そして1部に上がれなかった95%以上の選手が、3部や4部でセミプロとしてプレーをし、またその中で活躍し続けられたものだけが、その数年後に晴れてリーガ1部でプレーする切符を勝ち取ることができるのです。無論、その中でも才能を覚醒しきれず、潰れていってしまう選手もゴマンといます。絶対数として、そちらの方が数が多いでしょう。


それは、現実なのです。そして、彼らのほとんどが、その現実を受け入れ、「自分がプロになれなかったとき」のために、空いた時間や練習後の午後などを利用して、専門の学校に通ったり資格修得のために精を出しているのです。


彼らにとって、「プロになる」ということは、大それた夢ではなく、しっかりと目標に見据えることのできる現実の範囲内にあります。しかし同時に、それ以外の術で「生活する」ということも現実的に捉えています。


彼らにとって、「プロになる」ことも、「プロになれずに他の手段で生きていくこと」も、どちらも現実なのです。


ここスペインでは、一般的に日本ほど仕事に恵まれていません。日常的に、仕事にあぶれる人が続出します。「パロ」と呼ばれる失業手当が失業中は出るのですが、それも十分なお金というわけではありません。


従って彼らにとって、「3部や4部の選手としてセミプロでお金を得ながら」「副職(もしくは本職)で収入を確保して生活する」ということが最も現実的な選択肢であるのです。そしてその上で1部、2部のクラブからオファーがありチャンスがあれば、もちろん選手によっては「プロサッカー選手」を本職一本に絞って生きていく人間もいるでしょう。しかしそれはあくまでチャンスや運によるものである、という考え方の方が選手の一般的な考え方だと見受けられます。


そんな現実の中で、彼らは本当に人生を楽しみます。「いやー、俺失業しちゃったよー」といって、笑いながらフィエスタ(パーティ)を開いている人間を見ると、僕はたまらない感情に心揺さぶられます。その人間としての本能的な強さや、人生における諦念のようなものが凝縮される瞬間。「ま、なんとかなるよ。これも人生、楽しんでいこうや」というノリ。そこに悲壮感が全く漂わない、人としての逞しさ。


彼らは、アマチュアであろうと、フットサルであろうと、ことサッカーに関しては全く妥協を許しません。それが、彼らにとって自然で本能的な営みなのです。サッカーが文化である、ということはそういうことを意味します。


つまり、サッカーに対してはもちろん真剣に取り組むし、その中で現実的に働いて生活していくし、またそういう環境で人生を楽しんで生きていくし。フィエスタもすれば、お酒ばっかり飲んだくれるし、ディスコに行って踊り狂いながらも、気に入った異性とのラヴ・アフェアーを楽しみます。で、サッカーにはもちろん本気。


それが彼らの自然なスタイルなんです。


僕はこちらに来て2年。来てから1年後にあえなく職にありつき、ギリギリで自活して行ける範囲でここスペインで海外生活を送らせてもらっています。


スペインでは、外人が職を見つけることも至難の業です。


その中で、サッカー選手としてまだまだレベルは高くないですが、まがいなりにもスペイン人と同じ土俵に立ち、生活をしながら、ここでの人生を楽しみながら、自分の目標を追っていける、ということが何よりも自分に与えられた恵みであり、至福の喜びであると思います。


「日本人が海外で生活するということ」「日本人が海外でサッカーで戦うということ」。それが本当に現実的な意味合いでどういったことを意味するのか。それをしっかり把握して、勘違いせずに、尚目標に向かって精進して少しでも前進していきたいと願う今日この頃です。