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経営者してますが、ブログは趣味です☆


初めに言っときます!
病んでませんからね~!!( ̄ー ̄ゞ-☆

今日はチョロリだけ
いつもとは違う系統の記事書きます♪


昨日は定休日やったから
ヲタクらしく読書してました(漫画w笑)



そこに出てきた
『世界五分前仮説』なるもの...
よく題材にされた作品がありますね♪

これを、まともに考えてる
哲学者って...どんなんやったんやろ??


...1日中考えてるんかな(;゜∀゜)??


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世界五分前仮説(Wikipediaより)抜粋


世界五分前仮説
(せかいごふんまえかせつ)とは、
世界は、実は5分前に
始まったのかもしれないという仮説。

哲学における懐疑主義的な
思考実験のひとつで、バートランド
・ラッセルによって提唱された。





『この仮説は
世界は5分前に出来たのではない』

ひいては過去というものが
存在すると示す事を
完全に否定することが不可能なため

「知識とはいったい何なのか?」
という根源的な問いへと繋がっていく。

たとえば5分以上前の記憶がある事は
何の反証にもならない。

なぜなら、偽の記憶を
植えつけられた状態で5分前に世界が
始まったのかもしれないからだ。

以下、ラッセルの文章。

↓↓↓↓↓↓

世界が五分前に
そっくりそのままの形で
すべての非実在の過去を住民が
「覚えていた」状態で突然出現した。

という仮説に
論理的不可能性はまったくない。

異なる時間に生じた出来事間には、
いかなる論理的必然的な結びつきもない。

それゆえ、いま起こりつつあることや
未来に起こるであろうことが、
世界は五分前に始まったという仮説を
反駁することはまったくできない。

したがって、過去の知識と
呼ばれている出来事は 
過去とは論理的に独立である。

そうした知識は、
たとえ過去が存在しなかったとしても、
理論的にはいまこうであるのと
同じであるような現在の内容へと
完全に分析可能なのである。

ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) 

竹尾 『心の分析』 (1993)


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哲学の本なんて読んでませんが
こうゆうのを題材にした漫画ないすか?


...って、

漫画かいっ!!


まぁ、そー言わずに許して下さいw笑





あと、『スワンプマン仮説』とか

『水槽の中の脳仮説』題材のん好物です☆




スワンプマン仮説と
世界五分前仮説て連携出来てさ

『自分がスワンプマンかもしれない...』

とか、考えると面白いよね♪♪♪




まあ、大阪市内に泥沼ないし
絶対そんな所で寝んけどね(* ̄∇ ̄)ノ笑

ちなみに、スワンプマン仮説は
Wikipediaより下に記載しときます。

もう飽きたら、トバしてねwww(/▽\)♪ 



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『スワンプマン仮説とは』


1987年にアメリカの
哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが
考案した思考実験。

「私とは何か」といった同一性や
アイデンティティーの問題を
考えるのに使われる。

スワンプマンとは、沼 (Swamp) の
男 (man) という意味の英語である。

で。コレ♪↓↓

ある男が沼にハイキングに出かける。

この男は不運にも沼のそばで、
突然 雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷が、
すぐそばに落ちる。

なんという偶然か、
この落雷は沼の汚泥に
化学反応を引き起こし、

死んだ男と全く同一形状の
生成物を生み出してしまう。 

この落雷によって生まれた
新しい存在のことを、
スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは原子レベルで、
死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、
見かけも全く同一である。

もちろん脳の状態も
完全なるコピーであることから、

記憶も知識も全く同一であるように見える。

沼を後にしたスワンプマンは、
スタスタと街に帰っていく。

そして死んだ男が
住んでいた部屋のドアを開け、
死んだ男の家族に電話をし、
死んだ男が読んでいた本の
続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、
死んだ男が通っていた職場へと
出勤していく。。。。





何じゃそりゃ~!


ヒマビヒマンの携帯からの投稿w(*´∀`)