問題とすべきは、20世紀の世界を支配してきた経済秩序は、もはや21世紀の日本経済には通用しなくなっているということ。それは従来の経済理論を振りかざすマクロ経済学者たちが考えていることとは、かけ離れた世界である。 それが「低欲望社会の出現」ということである。
日銀の「異次元金融緩和」によって、異常なカネ余りが続いている中で、企業も個人も驚くほど低金利で資金を借りることができる。いわゆるコスト・オブ・キャピタルがこれだけ低いのに、その資金に手を出そうという人間がいない。また個人資産は1600兆円、企業の内部留保は320兆円超とされている。しかし、それだけの資金がありながら使おうとしないのである。

成熟国家となった今の日本の国民には、自分たちが目指すべき夢や理想ーいわば「坂の上の雲」が見えなくなってしまっている。そういうかつてない現実に対して、これまでのように税金を湯水のように使って消費を煽るのではなく、心理に働きかけることによって経済を活性化する方法がまだいくつか残っている。低欲望社会が現出した背景には何があり、今後どう対処すべきかーそれを論じたのが本書である。

いま日本の若者の間では新たに「プア充」なるものが話題になっている。お金や出世のためにあくせく働くのではなく、収入が低いからこそ心豊かに生きられるという考え方である。だが、それと似た傾向があった海外の国々では、いずれも長続きしていない。
例えば、1980年代のスウェーデンは高度福祉社会になった引き換えに国民負担率が80%近くにまで上昇した。経済は91年から3年連続で実質マイナス成長を記録。重税に喘ぐ国民は「こんな小さな国で頑張ってもしょうがない」「カネはなくてもグッドライフは手に入れられる」と達観し、当時モーレツに働いていた日本人に対しては「あくせくしすぎ」「あのような国ににはなりたくない」と冷ややかな見方をしていた。隣国のデンマークも同様の状態であった。

スウェーデンやデンマークでは、いくら働いても税金が高くて手取り収入が増えないため、若い人たちが将来に希望を持てなくなった。その結果、彼らはデカダンス(退廃的)に陥って、今の日本でいうプア充を志向し、アグレッシブな人間が少なくなって社会が淀んだ。特にスウェーデンは法人税率も所得税も高かったため、有力企業や富裕層が続々と海外に逃避した。
国民の社会負担が重くなりすぎて前に進めなくなってしまったスウェーデンは、大きな変革をしなければ福祉どころではなく国全体が危うくなる状況に陥った。そこで90年代から法人税や所得税の税率を大幅に引き下げたり、グローバル人材の育成を目指してリーダーシップ教育に注力したり、国際競争力を回復するために様々な改革を断行した。
雇用については、企業の競争力を強くするため、雇用を守らせる政策から、不要な人は簡単にクビにできる政策に大転換した。その代わり、クビになった人たちを国がトレーンんぐして再就職できるようにする仕組みを構築した。
スウェーデンでは、スキル不足で企業に必要とされなっくなったら解雇され、トレーニングを受けてスキル向上しなければ路頭に迷う社会、すなわち制度的にプア充では生きていけない社会に転換したのである。日本のように、スキルを磨かなくても会社にしがみついていれば食べていけるような環境ではなくなった。

翻って日本を見てみると、バブル崩壊後の「失われた20年」の停滞によって、いくら努力しても昇進・昇格はなく、よしんば昇進したところで忙しくなるだけという状況になった。だから、個人的なライフスタイルとしてプア充を選択する人を否定はできない。しかし多くの人が「プア充でいい」と考える社会は活力を失う。

長いセカンドライフを充実したものにするためには、「屋内」「屋外」「一人で」「仲間と一緒に」という4つのジャンルで、それぞれ二つづつ、合わせて八つほど趣味をもつ必要がある。またイタリア人のように「死ぬときは貯蓄ゼロ」と割り切れば、消費は大幅に拡大する。

島国である日本は、諸外国に比べて同質社会になりやすい。それは、非常に刺激が少ない社会であり、積極的に外の世界へと雄飛していく進取の精神に富んだ人間を産みにくい。その上に今後ますます「内向き・下向き・後ろ向き」な若者が増えてくる。それに加えて、ますます少子化が進展する中で、一人っ子家庭も増えている。彼らは家庭で競争することがないから、家の中で思う存分自分の好きなことができる。いわば「低欲望社会」の縮図がそこにある。戦前・戦後の日本人にバイタリティがあったのは、兄弟がたくさんいて、競争しなければ食事にもありつけなかったからだ。
一方、同質的で内向きな社会は、その中に閉じこもっている分には居心地が良い。だが次第に幼稚化し、人間として退化していく。そうやって一人一人の目線が下がっていけば、必然的に社会や国家もまた弱体化せざるを得ない。そして、ある日突然、居心地が良かったはずの「ゆりかご」は「墓場」へと変貌するだろう、いわゆる「茹でガエル現象」である。
それに対して、異能の人材がどんどん集まるような社会は、刺激に満ちて、向上心が個人のモチベーションを支えるようになる。

20世紀の企業にとって成功の鍵は「人、モノ、カネ」であった。今はモノもカネも溢れていて、特許などもカネ次第で使わせてもらえる。そんな21世紀における事業成功の鍵は「人、人、人」である。それも「尖った人間」が何人いるかが重要になっている。明治時代や戦後の第一世代に比べて、今の低欲望社会で育つ人材には競争心がない。家庭内で一人っ子で育っている人が過半数という背景があるので、これも一足飛びには改善しないだろう。しかし、日本には「かわいい子には旅をさせよ」という格言が昔からある。世界に飛び出すくらいハングリーな教育ができるのは親しかいない。

「かわいい子には旅をさせよ」若い時のいろんな経験が人生の糧になる。人間を成長させるのは「修羅場・土壇場・正念場」であり、日本人はやはり世界、それも新興国をもっとみるべきである。そんな若者増えてくれば、日本ももっと変わっていくだろうな。