これが私のいまのテーマ。

どこに行っても。
仕事でも趣味の場でも、娘たちのことでも。

この3日間、娘たちは父親の田舎の祖父と祖母の所に行った。
最初は一泊のつもりだったが、当日になって二泊に。

行かなきゃいけない理由はあった。
長女が大学に入学し「お祝い」を貰いに行くこと。
北陸の田舎なので、相当な金額。
長女はパソコンが欲しいと言う理由で、田舎に行くことに決めた。

父親は何の目論見かわからないけど(たぶん秋に離婚したときの当時の浮気相手と挨拶に行くみたい)今回は娘たち2人で行った。

娘たち二人は、いままでずっと父親に裏切られてる。
そんな二人を見ている私は、当然父親の実家に行くことは内心穏やかではない。

「お金をもらいに一泊ぐらいなら」

そう思ってたけど、二泊も止まることになり結局は三日間ずっといたそうな。


私はどんなことがあっても「赦す」事が最大の復讐だと思っているので、内心穏やかではないけど、あえて何も言わなかった。

娘は私の所有物ではないし、私とは縁が切れたけど娘たちからみれば、いつまでもずっとずっと「おじいちゃんおばあちゃん」なのだ。


離婚して5年目。
離婚したときは「病気の私が悪い」と家族誰もが思ってた。
でも蓋を開けてみたら、娘たちにとっては「お父さんに女がいた」と言う現実にぶつかった。
両親が離婚して傷付いてる娘たちに、平気でずかずかと土足で入ってきたその女性と、元夫に「赦す」という言葉を、自分の目の前に掲げてもでもはらわたが煮えくりかえる。


私がお腹の中にいるときから、大事に大事に育ててきた娘。
なおさら。


現実にぶつかった娘たちを知らずに、当時病気と向き合っていた私は、もしあのころ自分がしっかりしていたら娘たちをもっともっと守ってあげられたかもしれないと、ずっと悔やんでいるの。


最近は忘れていたけれど、夏になって父親の実家に行くとなると突きつけられる現実。


きつい性格だった、姑もかなりおだやかになったとか。
姑も姑でいままで苦しんだと思うのよね。

「のぶこさんは元気?」以外娘たちには、生活ぶりをきかなかったそうな。
もう親として手も足も出ない状況が、私も親だからわかる。


去年から娘たちの父親の実家は、私が好きであろう食べ物を娘たちに可能である限り必ず持たせる。


一時は家族だった家族。
壊れてしまったけど、思い出は残ってる。
北陸の魚が大好きで、私が行くと振る舞ってくれたのは今でも感謝してる。


娘たちの父親はどう思っているかわからないけれど、私も娘たちも、北陸の家族も「家族」だった思い出が残っているのだ。



内心穏やかじゃ無かったけど。
娘たちが帰って来て、深夜バスで疲れて帰って来て寝息を立てて寝てる娘たちをみて。


「娘たちの居場所をきちんと作らなきゃ」


と思うのでした。


いまでは、怒ったり許せなかったりする事も。
しっかり見ていれば、それぞれの思いが伝わり。

受容・肯定・寛容

に繋がるのだと、実感した日々なのでした。


神さま
わたしはただしいですか?