私は

「こうあるべき」

と言うことにとても拘っていました。


特に結婚してから



「妻であるべき」
「母であるべき」



そんなことに拘っていました。



結婚生活のほとんどを社宅という小さな社会で過ごし



「こうあるべき」



奥さまの中で、一生懸命戦っておりました。



先輩の奥さまの話を
たくさんたくさん聞いて



お手本通りに行くように、必死で合わせていました。




専業主婦を終えて、社会復帰してから



たくさんの人に出会って



「こうあるべき」



がどんどん崩れていき



しまいには




自分がどうしたいのか、どこへ行きたいのか




あてのない、自分探しの旅を
長年していたような気がします。




「あるべき」の山は、私にはとても険しくて歩きづらくて、私にはとっても苦しい山でした。




ある人が


「結婚は孤独だった」


と言っていた人がいたけれど



本当にそう



24時間体制でがんばっても


「あたりまえ」


で終わってしまう「妻」という役割は、「孤独」以外の何者でもないような気がします。



そこで物質的な事に走ってしまったりしても



「孤独感」



は決してぬぐえず



ただただ、自分の居場所を探していたような気がします。




「あるべき」感が強くて、子どもが可愛いと思わなかった時期もあったなぁ。




いま思えば、もったいない生活をしていたよ。
子どもが可愛いと思えないと思う事ほど、愚かなことはない。
自分の腹から産まれたのに。
なんてことを。



私のあるべき山は「あるべき」の山では無いのよね、きっと。



「あるべき」の山を登れば、平凡な安定した生活が約束されると信じていたけれど、私はあるべき山を下りる所からスタートするんじゃ無いかと、やっと思えるようになった。



ここまでいろいろまわり道したなぁ。
娘に戻ったりもしたよ。



拘りを捨てて
あるべき山を下山し


今は小さな丘を登って
見渡す山を眺めては



これからじっくり
登りたい山を見つけて


一歩一歩
進んで行くわよ。


そんな事を思うのでした。