今まで自分にまっすぐに取り組んで来た。



まっすぐに取り組むと



私の歴史の中に


「おかあさん」


もある。


お母さんになって15年ちょい。
お母さんは色々な意味で思春期だ。



妊娠して娘が産まれた時に、私に2つの感情が生まれた。


「娘のために生きる」



「娘は何でも知っている」



猿のような、老人のような顔で産まれる赤ん坊は


「私、あなたのこと何でも知っているわ」


そんな事を言っているように見えた。



世の中の事を全く知らない赤ちゃんは、10ヶ月私の中にいたから、きっと私の事なら何でも知っているのかしら。


ふたりともそんな風に思えた。




赤ちゃんって不思議なもので、お母さんが不安だったりイライラしていたりするとよく泣いて、ゆったりした気持ちの時は、いつも笑っている。


赤ちゃんって不思議な生き物だ。
でも世の中の事は全く知らない。


成長するにつれて、自我が目覚めると(2歳くらい)また大変な事になる。
まったく思うようにいかない。


娘も何も分からないが、私も子どものことを何も知らない。

でもって、母親の私は世間と子どもから毎日テストされているような感じになる。


娘が


おりこうさんでいないと
すべてがきちんと出来ていないと


母親失格の烙印を押されてしまう。
そんな事と戦った毎日を最近とても思い出す。



今思えば
何に必死だったんだろうか



自分の人生は自分のために生きよう。
私も娘も。



どんなに、枠への出口をふさいでも
子どもは行きたい所にしか行かない。


「ここはいいよ」という道も
行きたくなければ行かない。


親が


道を造り、悪い道を消せば消すほど、子どもは悪い道に行きたくなるもんだ。


親が作った道で、嘘をつくような子にはなって欲しく無い。
親が出口をふさいでしまって、自分をごまかすような子になって欲しく無い。



子は親の背を見て育つか。。。
自分を隠して、世間に合わせてばかりなんて事はとうとう私に出来なかったなぁ。


でも
娘はちゃんと親を見ていて、私より私の事を知っている。

「おかあさんて、子どもだよね」

そう言われたときはびっくりした。



でもね。
お母さんも、時々つくあなたたちの嘘は、知っているのよ。




子どもを信じて味方になる。




娘との駈け引きは、生まれた時から死ぬまでずっと続く。

その中で、本音を掴み取れたら可能性を信じて応援するだけ。



子どもなお母さんは、そんな育て方しか出来ないのだ。
でもって、いつも娘に育てられているんだなぁと実感するのであります。


娘たち。
お母さんは「ありがとう」言いながら前に進むよ。
それはしっかり伝えなければ。



お世話になっている人に、きちんと伝えられるようになりたいね。



生きていてネガティブな事を、どうポジティブに持って行くか。
今は親としても試されているような気がする。





お母さんの道はぐねぐね曲がっているけれど




せめてあなたたちは、まっすぐな一本道であってもらいたい。



そしてその一本道を、自分でしっかり歩いてもらいたい。




子どもなお母さんは、いつもそう願うのでした。