先に言っておきます。
「私は病気じゃない」
この一年近く、自分に起こる「フラッシュバック」とやらに悩まされて来た私は、その状況と自分自身と今でも向かい合っています。
若い頃、ある日を境に自分を立て直した私は、いろんな事を「ぎゅっ」と閉じ込めて忘れるように、過去の事は無かったことのようにしてきました。
なのでそれから、きれいな景色を見ても全く感じず、楽しい状況にあってもその場いる感じがしない自分がいました。
すべてを忘れるように強く願って来たので、順調なはずの生活の中でただ漠然と時々襲ってくる「自信喪失」と「不安」と「何かに押しつぶされそうな感じ」に悩まされました。
ずっとそんな感じ。
きちんと出来ない自分を反省する毎日でした。
暇さえあれば毛布にくるまって生活していました。
当然そんな母しか見ていない娘たちは、出かけられるようになった今の母を「よかった、よかった」と見送ってくれます。「演劇を始めたらいいじゃん」と背中を押してくれたのも娘です。
まだまだ子どもなのに。
自慢の娘たち。
言いたいこともたくさんあるだろうに。
彼女たちを育てている中で風を感じ、陽の暖かさを感じ、厳しい事もあったけれど、たくさんの人のぬくもりを感じて、自分を少しずつとりもどしたような感じもします。
それからやりたいことをはじめた自分は、たくさんの人に出会ってたくさん刺激を受けます。
自分の意見をこんなに出しても、受け止めてくれる仲間がいるというのは本当に本当に素晴らしいことなのです。
「本当にやりたい」と強く願ってから、自分の中にあるたくさんの障害が出てきます。
それは今の環境ではなくて、今まで目を背けていた過去の自分です。
私は10歳を過ぎた頃から、たくさんの悲しいことや辛かったこと、恐かったことを体験してきました。
あることで悩んでいる人がこんな事を言っていました。
「自分には受け止められないくらいのありえない事が自分に起こっているのに、いつもの日常は当然のようにあるのが不思議」と。
そうなの。
何かあっても日常の中で「全然平気」という顔をして過ごさなきゃならないの。
でも当時、それをするには幼すぎたんだといま思っています。
むしろ、高校生の頃は最悪にもそれ以上の事をしてきました。
本当は
「助けて!」「こわい!」「さみしい」
を
「自分が悪い」「気のせいだ」「自分の事は自分でやらなくちゃ」
とがんばって来ました。
ああ、これは今でも出てます。
人に相談して、やっぱり相談した相手に迷惑をかけてしまうのは嫌なの。
話したからと言って、その人に頼ろうとする自分が嫌なのです。
本当は私みたいな人は、専門家にきちんと診て貰った方がいいと思う人もいるかもしれません。
去年にたくさんフラッシュバックがあって、すべてを人に話したいと初めて思った私は専門家に相談したことがあります。
「誰かに話したい」初めてそう思う自分と、過去さみしい気持ちを人で埋めようとした自分が重なります。
専門家は「話したいと思った人はめぐりあいだと思って、あなたは病気じゃないし話した先に納得した自分がいるのなら話せばいい」と。
フラッシュバックが起こるたびに、感情をどうにか軽くしたり変えたりできないかいつも考えます。
ただ私は矛盾していて、その時の自分を思うと本当は誰かに抱きしめられて「大丈夫」と言われたかったと思う自分もいます。
ずっと自分を責め続けてきたので、こんな記事を出して友達や知り合いに嫌われるかもしれないと思う自分もいます。
でも、無意識に人のぬくもりを探し続ける人にはなりたくないし、そのために嘘もつきたくない。
そういう人にはなりたくなくて、何年も何十年もがんばって来ました。
この事を夫に言うのも嫌でした。
夫は強い私が好きだから。
これ以上、本当はもっと弱い自分を見せたくない。
ただ、ワークショップを受けにいく私を黙って見送り、いろいろな事に協力的な事はとても感謝しています。
非現実な事が目の前に起こった時
たいていの人は「ドラマみたいだ」と思います。
私もそうです。
私は過去の出来事を、泣きながら「こわかった!」「さみしかった!」「かなしかった!」と人に思いっきり話したいんだと思っています。
ですが、ドラマとして捉えられてしまった時、「自分に酔っている」という風に見られてしまうのはとても悲しいのです。
考え過ぎなのかもしれませんが、フラッシュバックで泣いてしまうときは、時々「自分に酔ってるのか」と考えてしまうことがあります。自分でもそう思うなら人なら尚更です。
皮肉な事にフラッシュバックで悩んでから、何を見ても感動する自分がいる事に気付きます。
美術館に行って、絵を見て感動して泣いてしまった自分は、頭がおかしいとさえ思いました。
いろんな事に気付いたわたし。
本当に恐くて不安な自分も、よく分からなくてもずんずん前に進んでしまう自分も全部「あたしはこうなのよ!!」とすべてを気にせずさらけ出せた時。
その場に集中してやりたいことを、やり続ける自分がいるんだと信じているのです。
「私は病気じゃない」
この一年近く、自分に起こる「フラッシュバック」とやらに悩まされて来た私は、その状況と自分自身と今でも向かい合っています。
若い頃、ある日を境に自分を立て直した私は、いろんな事を「ぎゅっ」と閉じ込めて忘れるように、過去の事は無かったことのようにしてきました。
なのでそれから、きれいな景色を見ても全く感じず、楽しい状況にあってもその場いる感じがしない自分がいました。
すべてを忘れるように強く願って来たので、順調なはずの生活の中でただ漠然と時々襲ってくる「自信喪失」と「不安」と「何かに押しつぶされそうな感じ」に悩まされました。
ずっとそんな感じ。
きちんと出来ない自分を反省する毎日でした。
暇さえあれば毛布にくるまって生活していました。
当然そんな母しか見ていない娘たちは、出かけられるようになった今の母を「よかった、よかった」と見送ってくれます。「演劇を始めたらいいじゃん」と背中を押してくれたのも娘です。
まだまだ子どもなのに。
自慢の娘たち。
言いたいこともたくさんあるだろうに。
彼女たちを育てている中で風を感じ、陽の暖かさを感じ、厳しい事もあったけれど、たくさんの人のぬくもりを感じて、自分を少しずつとりもどしたような感じもします。
それからやりたいことをはじめた自分は、たくさんの人に出会ってたくさん刺激を受けます。
自分の意見をこんなに出しても、受け止めてくれる仲間がいるというのは本当に本当に素晴らしいことなのです。
「本当にやりたい」と強く願ってから、自分の中にあるたくさんの障害が出てきます。
それは今の環境ではなくて、今まで目を背けていた過去の自分です。
私は10歳を過ぎた頃から、たくさんの悲しいことや辛かったこと、恐かったことを体験してきました。
あることで悩んでいる人がこんな事を言っていました。
「自分には受け止められないくらいのありえない事が自分に起こっているのに、いつもの日常は当然のようにあるのが不思議」と。
そうなの。
何かあっても日常の中で「全然平気」という顔をして過ごさなきゃならないの。
でも当時、それをするには幼すぎたんだといま思っています。
むしろ、高校生の頃は最悪にもそれ以上の事をしてきました。
本当は
「助けて!」「こわい!」「さみしい」
を
「自分が悪い」「気のせいだ」「自分の事は自分でやらなくちゃ」
とがんばって来ました。
ああ、これは今でも出てます。
人に相談して、やっぱり相談した相手に迷惑をかけてしまうのは嫌なの。
話したからと言って、その人に頼ろうとする自分が嫌なのです。
本当は私みたいな人は、専門家にきちんと診て貰った方がいいと思う人もいるかもしれません。
去年にたくさんフラッシュバックがあって、すべてを人に話したいと初めて思った私は専門家に相談したことがあります。
「誰かに話したい」初めてそう思う自分と、過去さみしい気持ちを人で埋めようとした自分が重なります。
専門家は「話したいと思った人はめぐりあいだと思って、あなたは病気じゃないし話した先に納得した自分がいるのなら話せばいい」と。
フラッシュバックが起こるたびに、感情をどうにか軽くしたり変えたりできないかいつも考えます。
ただ私は矛盾していて、その時の自分を思うと本当は誰かに抱きしめられて「大丈夫」と言われたかったと思う自分もいます。
ずっと自分を責め続けてきたので、こんな記事を出して友達や知り合いに嫌われるかもしれないと思う自分もいます。
でも、無意識に人のぬくもりを探し続ける人にはなりたくないし、そのために嘘もつきたくない。
そういう人にはなりたくなくて、何年も何十年もがんばって来ました。
この事を夫に言うのも嫌でした。
夫は強い私が好きだから。
これ以上、本当はもっと弱い自分を見せたくない。
ただ、ワークショップを受けにいく私を黙って見送り、いろいろな事に協力的な事はとても感謝しています。
非現実な事が目の前に起こった時
たいていの人は「ドラマみたいだ」と思います。
私もそうです。
私は過去の出来事を、泣きながら「こわかった!」「さみしかった!」「かなしかった!」と人に思いっきり話したいんだと思っています。
ですが、ドラマとして捉えられてしまった時、「自分に酔っている」という風に見られてしまうのはとても悲しいのです。
考え過ぎなのかもしれませんが、フラッシュバックで泣いてしまうときは、時々「自分に酔ってるのか」と考えてしまうことがあります。自分でもそう思うなら人なら尚更です。
皮肉な事にフラッシュバックで悩んでから、何を見ても感動する自分がいる事に気付きます。
美術館に行って、絵を見て感動して泣いてしまった自分は、頭がおかしいとさえ思いました。
いろんな事に気付いたわたし。
本当に恐くて不安な自分も、よく分からなくてもずんずん前に進んでしまう自分も全部「あたしはこうなのよ!!」とすべてを気にせずさらけ出せた時。
その場に集中してやりたいことを、やり続ける自分がいるんだと信じているのです。