フィシスの波文
という映画を神戸で観ることができた
(残念ながら中部圏では公開されず)
 
絶対に「いま」自分が観るべき内容だと
強く感じ、現実的な用事が思いがけず立て込んでしまった
ここ最近だが、隙間時間で行くことができた
 
physis  フィシス=(ギリシア語で)物質を意味する
 
言葉の源を辿ると本質的な意味を持っていて
とても興味深く、面白い
 
言葉も表象の一つとも言えるが
表象とは、re-presentation
人の頭の中のイメージをこの世界に
再び表わす=かたちづける
という芸術の根源ともされる
 
波文は、文字通りに波の文様
 
昔、ケルト芸術研究者である
鶴岡真弓先生の授業を受けて
とてもワクワクが止まらず
他のクラスも追いかけ(笑)受けたりした
 
あの、エルメスレセプション帰りとかで
お馬の風船を持って初回の教室にご登場され
一気に気持ちを掴まれた記憶が蘇る
 
エルメス神(ギリシア神話)と旅の話となり
 
ケルトの渦巻き紋様が古代から
古今東西、日本の祇園祭の神輿などに
表象される唐草模様まで連綿と連なる
カタチの永遠性を知る
 
筆者の卒論が
布地における花模様から絵画における表象
についてだったのは、この授業の影響で
自分のライフワークにもなるなぁと感じていた
 
 
肝心の映画だが、ご出演された先生を久しぶりに拝見し
当時のあの何故だかゾクゾクワクワクした感覚が蘇ると共に
 
日本における紋様の多様性と永遠性
フゴッペ遺跡や古代イタリアの遺跡に刻まれた「しるし」
もちろん、遺跡はこれらのみならずなのだが
 
もっともっと多くの国、場所に
石から他の物質に刻まれている
幾何学模様とも呼ばれたり
 
少し前に見た卑弥呼時代の石に刻まれた
「しるし」に畏怖のような感覚と興奮を覚えるのは、何故か
 
京都での葵祭、祇園祭、唐紙模様、アイヌの衣服
着物の紋様etc...
 
この映画でもエルメスの社長が出られていて
 
森羅万象、宇宙、そしてこの地球における
太古からの見えない表現を敢えてカタチへ
起こすことについて
 
天象=天体の象り(かたどり)
雲、などを唐紙へカタチとして起こすこと
自然と人間の精神を結ぶものとしての
「文様」「象り(かたどり)」
 
この映画は、京都の唐紙を伝統的に仕事とする
唐張さんを中心に話が進められる
主に襖へ使用されてきた日本的な文様が
実は東西問わず共通する「かたどり」でもある
 
自然の物理の中において自然物理と人間の内面、精神性を
結びつける「うつす」ことが文様であるということに
「うつす」ことで太古から人は何かを伝え
この地球で生きる上での言葉を超えたエッセンスを残そうとしたのであろう
 
言葉よりもカタチを表現することが先にあり
ラスコーの洞窟絵が最古の表現体である
絵画の起源とされるのも頷ける
 
映画を観ている最中
映像と言葉をしっかり噛み締めるように
このままずっと観ていたい思いに駆られた
 
特に日本人への
とても重要なメッセージが詰まった内容だった
 
 
この映画の存在を教えてくれた
神戸の近くに住まうAさんに深く感謝
 

この後、新潟・北海道へ巡回する映画