昨日(11日)、またKくんが熱を出しました
今日、午前中に病院へ行ってきました。
喉が赤くなってるそうです。
本人は少し機嫌が悪いけど、ご飯も食べて元気にしています。
なんかスッキリしませんね
まあ、そんなこんなで
昨日ブログ更新できなかった話題を・・・
もうあれから8年も経ちますか・・・早いですね。
9月11日
アメリカの同時多発テロが起こった時、私は友人たちとアメリカにいたんです。
正確に言うと、
夏休みを使った旅行を終え
日本に帰国する途中でした。
フロリダのディズニーワールドに行っていた私たちは、ダラスを経由し日本へ帰る予定でした。
飛行機がいやに早くダラスに着いたなぁ・・・
と思ってたら、なかなか飛行機から客を降ろそうとしない。
近くに座ってた外国人のおじさんは機内の電話をかけまくってる。
??????
機内がざわつき、事態の掴めない日本人たちも不審に思いはじめる。
英語が苦手な私も友人とCAに何があったのか聞いてみた。
National emergency.
それだけわかった。
そして、そこがダラスではなく、その途中のルイジアナのシュリブポートという空港だということ。
その後、飛行機から降ろされ、
空港施設内のテレビに映る
ビルに飛行機が突っ込むあのシーンを見た時、
これが原因かとやっと理解できてきた。
そして、場所は違うが
同時刻にテロにあったのと
同じ「アメリカン航空」の飛行機に乗っていた私たちを
改めて恐怖が襲う。
そして機内食の残りを全て乗客に配られ、ホテルが用意された。
そして空港も閉鎖され、いつ帰国できるかわからなくなった。
とりあえず、空港から実家へ国際電話をかけると
父が出た。
母は夜勤で不在だった。
「今テレビはアメリカのことばっかりぞ。おまえやっぱりまだそっちにおったんか。無事でよかったのぅ。」
父の声を聞いただけで
涙が止まらなくなった。
隣の公衆電話で電話をしている友人も やっぱり泣いていた。
ホテルのテレビには
ひたすらビンラディンの顔と
「WAR」の文字
翌日の空港は閉鎖されたまま
警察が警備していて、
物々しい雰囲気。
いつになったら太平洋上空が飛べるのか・・・
えらいことになったと思った。
でも、実は
この旅行に旅立つ当日
私は突発性難聴になり、
医師から渡航を止められていた。
にも関わらず
「自分の責任で行きます!」
と内服だけもらい
旅立ってしまった悪い患者
もしかしたらご先祖様が
止めてくれてたのかも。
罰当たりですね。
今考えると、無事だったし、帰るまでの滞在費の保障もあったし、たいしたことない気がするけど、
当時の私たちは、もしも自分達だったらという恐怖と、帰る目処の立たない不安・・・
そして再度飛行機に乗る緊張感。
メディアや空港の異様な緊迫感。
イライラや不安で
ストレスをぶつけ合う仲間たち。
そんな中で押し潰されそうでした。
その時に知り合った方々もいますし、
その時もめた友人たちとも、さらに友情は深まり
今となってはいい思い出ですがね
あ、そうそう
そんな大変な状況の中、
友人の夫や彼氏たちは
心配して国際電話をかけてきてくれてたんですが・・・
うちの彼氏(現・旦那さん)は全くかけてくれず、
私の方からかけた国際電話は、
なんと麻雀をしながら喋られ、
時々上の空で話していたんですよ
当然キレて、国際電話で
長々と喧嘩をしたバーバラでした
まあ、どれも貴重な経験です

今日、午前中に病院へ行ってきました。
喉が赤くなってるそうです。
本人は少し機嫌が悪いけど、ご飯も食べて元気にしています。
なんかスッキリしませんね

まあ、そんなこんなで
昨日ブログ更新できなかった話題を・・・
もうあれから8年も経ちますか・・・早いですね。
9月11日
アメリカの同時多発テロが起こった時、私は友人たちとアメリカにいたんです。
正確に言うと、
夏休みを使った旅行を終え
日本に帰国する途中でした。
フロリダのディズニーワールドに行っていた私たちは、ダラスを経由し日本へ帰る予定でした。
飛行機がいやに早くダラスに着いたなぁ・・・
と思ってたら、なかなか飛行機から客を降ろそうとしない。
近くに座ってた外国人のおじさんは機内の電話をかけまくってる。
??????
機内がざわつき、事態の掴めない日本人たちも不審に思いはじめる。
英語が苦手な私も友人とCAに何があったのか聞いてみた。
National emergency.
それだけわかった。
そして、そこがダラスではなく、その途中のルイジアナのシュリブポートという空港だということ。
その後、飛行機から降ろされ、
空港施設内のテレビに映る
ビルに飛行機が突っ込むあのシーンを見た時、
これが原因かとやっと理解できてきた。
そして、場所は違うが
同時刻にテロにあったのと
同じ「アメリカン航空」の飛行機に乗っていた私たちを
改めて恐怖が襲う。
そして機内食の残りを全て乗客に配られ、ホテルが用意された。
そして空港も閉鎖され、いつ帰国できるかわからなくなった。
とりあえず、空港から実家へ国際電話をかけると
父が出た。
母は夜勤で不在だった。
「今テレビはアメリカのことばっかりぞ。おまえやっぱりまだそっちにおったんか。無事でよかったのぅ。」
父の声を聞いただけで
涙が止まらなくなった。
隣の公衆電話で電話をしている友人も やっぱり泣いていた。
ホテルのテレビには
ひたすらビンラディンの顔と
「WAR」の文字
翌日の空港は閉鎖されたまま
警察が警備していて、
物々しい雰囲気。
いつになったら太平洋上空が飛べるのか・・・
えらいことになったと思った。
でも、実は
この旅行に旅立つ当日
私は突発性難聴になり、
医師から渡航を止められていた。
にも関わらず
「自分の責任で行きます!」
と内服だけもらい
旅立ってしまった悪い患者

もしかしたらご先祖様が
止めてくれてたのかも。
罰当たりですね。
今考えると、無事だったし、帰るまでの滞在費の保障もあったし、たいしたことない気がするけど、
当時の私たちは、もしも自分達だったらという恐怖と、帰る目処の立たない不安・・・
そして再度飛行機に乗る緊張感。
メディアや空港の異様な緊迫感。
イライラや不安で
ストレスをぶつけ合う仲間たち。
そんな中で押し潰されそうでした。
その時に知り合った方々もいますし、
その時もめた友人たちとも、さらに友情は深まり
今となってはいい思い出ですがね

あ、そうそう

そんな大変な状況の中、
友人の夫や彼氏たちは
心配して国際電話をかけてきてくれてたんですが・・・
うちの彼氏(現・旦那さん)は全くかけてくれず、
私の方からかけた国際電話は、
なんと麻雀をしながら喋られ、
時々上の空で話していたんですよ

当然キレて、国際電話で
長々と喧嘩をしたバーバラでした

まあ、どれも貴重な経験です
