バトミントンの世界選手権でメダルラッシュらしい。

 

卓球もすごいみたいで、陸上短距離も9秒台を出す選手が出て来たり、フィギュアスケートやスピードスケートもすごい。

 

きっと、音楽や美術などの芸術界などでもゆとり世代と言われる世代のすごい日本人がたくさん出て来ているような気がする。

 

サッカーや野球のように、プロリーグがあるドメジャーな競技は、それだけで成長できる道が用意されるから、昔からとびぬけた人がその才能を活かされる。

 

でも、最近は裾の広く、アマチュアの世界に個の力で世界で戦える日本人が着実に増えているように感じる。これは、触れ込み通り「経験重視型のゆとり教育」の恩恵ではないかと思う。

 

一般社会において、ゆとり教育の弊害は確実にある。

 

ただ、言い方は悪いが、「飛びぬけた才能」を更なる高みに伸ばすための環境を整えると、その他の人たちが少し劣ってしまうのはしょうがないことなのではないのだろうか。

 

そもそも「ゆとり教育」は、それが目的だったのでは。

 

誤算は、「全員が」飛びぬけてくれると過度な期待を持ったこと。

 

そう考えると、何かを成し遂げるほんの一握りの人とそうではない大量の人々との差は圧倒的で当たり前で、その差こそが「ゆとり教育」の目指していたものだった気がする。

 

日本は1人の圧倒的なリーダーよりも、100人の小粒なソルジャーを作るための「みんな仲良く」「みんな一緒に」に戻ってしまった。

 

使えないソルジャーが増えてしまい過ぎた弊害によるものだが、既に総力戦ではない社会構造の中で、そんなことやってたら確実に負ける。

 

弱者を切り捨ててでも圧倒的カリスマ、リーダーを増やした「ゆとり教育」は実は成功だったような気がする。