古畑任三郎『黒岩博士の恐怖』(緒形拳)は、犯人が最初から古畑を完全に飲んでかかっており、古畑得意の観察眼でどれだけ追い詰められても焦りの表情を見せない主犯黒岩、という特異な回、『ゲームの達人』(草刈正雄)同様、絶対の自信を持っている犯人像です。

 



元々のオファーは志村けんさんだったそうですが私は信じていません。志村さんが古畑任三郎のオファーを辞退なさったことは存じておりますが、緒形拳さんではなく志村さんが白衣を着て登場するとどうしてもコントに見えます。想像が出来ません。志村さんの犯人役、その演技は見たかったです。

同回にて「都内で、日に30体の変死体が出る」という台詞を聞いて「少ないかな?」と思ったシーンが有りました。病院で老衰死、病死していない死、例えば自宅で亡くなった場合は全て変死体。つまり最期を医師が看取っていない場合は変死です。30件よりもっと多いかなと。

西園寺刑事が招致される記念すべき回で、古畑警部補だけが推理する通常回とは違い、2人の会話によって、ほぼ安楽椅子探偵。

捜査本部お手上げの不可解な連続殺人事件解決のためだけに特別招致されたわりに古畑自身が現場に向かって検証・推理するシーンは1回のみ。大半の時間をレストランで資料を見ながら西園寺くんと一緒に推理しています。捜査本部とは別行動という設定です。

このスタイルは今泉慎太郎刑事と古畑任三郎警部補の愉快な掛け合いが好きだったファンにとっては、少々寂しい感じがしました。西園寺刑事は真面目過ぎます。

 

おそらくは私が思っていた以上に西村雅彦(現・西村まさ彦)氏のスケジュールがキツキツになっていた頃かも知れません。

勿論、今泉巡査が登場しないわけではありませんし、彼はいつものようにドジを重ねながらも、何故か偶発的に大きな手がかりを得る機会を作る、大切な役目を今回も果たしています。

スペシャル回ですので長編になっています。動機はともかくとして、犯行の異常性はありきたりではなく、特筆に値する猟奇的なストーリーです。緒形拳さん、ぴったりでした。

普段は犯人の目星をつけるまでの時間が極端に短く(初対面時が最も多い)、散々犯人の精神を手のひらで転がすようにコケにした挙げ句、ぐうの音も出ないように決定的な矛盾を突く古畑任三郎。

しかし先述したように、今回の黒岩博士はコケにされるようなシーンは無く、寡黙で、犯人しか知り得ない証言をするヘマはしません。古畑の質問を無視するシーンもあります。古畑も黒岩と初めて会った時に犯人という臭いを察していません。珍しい回と言えます。

連続殺人事件という趣きのせいもありますが、通例なら数時間から1日ほどで自供に追い込む古畑が何日もかかって苦戦しています。しぶとい黒岩博士。

なお、犯人に会ってすぐに「あなたの犯行ですね」と警察の誰でもいいので質問したとしたら、間違いなく「YES」と答えるであろう犯人が、古畑任三郎シリーズには少なくとも2人いました。『笑わない女』(沢口靖子)、『フェアな殺人者』(イチロー)です。

例外として古畑に完全に追い詰められる前に「私がやったんだ」と自供し逮捕を求めるケースがあり、これは『殺人リハーサル』(小林稔侍)。

ただし事情(罪状)が異なるため、犯人と分かっていても古畑はその自供を拒否、きちっと真実を追い詰めてから逮捕しています。

古畑任三郎の追い込み方で最も弱い点は決定的な物理的証拠が少なく、自供によって逮捕に踏み切ることです。追い詰められた犯人は「これ以上ジタバタしても頭脳では敵いそうにない」と、8割ほど古畑の推理が正しければ、潔く自供します。裏を返せば「2割欠けている」ケースが多い。物証なき解決。裁判になると弱いような・・・。ドラマですからここは突っ込まないことにしましょう。

『汚れた王将』(坂東八十助)回など、犯行トリックそのものが不可能であるストーリーを見てしまうと、当初は興醒めしました。それを差し引いても面白みがあるシーンがあれば、脚本の致命的なミスにも目をつぶります。『汚れた王将』は犯人のメイントリックではなく、犯人の心の動き・変化が見えるシーンが秀逸です。古畑任三郎というドラマはそういった粋な見方をするものです。

″絶対に成功するとは言えない、偶然まで計算に入れた完全犯罪″というストーリーは好きです。計画的犯行であるにも関わらず、「もしここで目撃者が通らなかったら、犯人はお終いだ。これだけ綿密な計画を練っているのに、こんな危ない橋を渡るだろうか?」と思わせたら名刑事名探偵でも降参します。犯人が計画していたと思われる、ありもしない別のトリックを探さなければなりません。こういったストーリーを「非現実的である」の一言で駄作扱いする視聴者には、古畑任三郎は楽しめません。勿論、そういう視聴者がいても良いとは思っています。こんなに面白いのに、もったいないかな?ということです。

2度は見ない、大嫌いな回は『魔術師の選択』(山城新伍)。
奇術をテーマにされると虫唾が走ります。矛盾するようなシーンは無かったと思いますが、別な理由でこの回、嫌です。

私が「手品はそういうものではない」と見るように、『汚れた王将』で「将棋というものはそういうものではない」という見方をなされる方もおられると思います。「ドラマでもここまでひどいと許せない」というような。『汚れた王将』だけを見て「何だこれ・・・」と呆れられた方もおられるでしょう。

ドラマ『相棒』でもプロマジシャン役が登場する回があります。師が弟子を思い出しながら「あいつに初めて教えたマジックがこれです」という台詞がありました。「何だこりゃ」です。それは有り得そうでありえないことですので、右京さん(水谷豊)がそこを調べて追い詰めるだろう、と期待するじゃないですか。しかし、そんなシーンはありませんでした。『相棒』は穴がありすぎてワンシーズンどころか、5話も見ていないと思います。根気強く、きちんと見続ければ面白かったに違いありません。あれだけ続いているドラマですから。

『黒岩博士の恐怖』の話題に戻ります。
疑問に残るシーンがあります。

おみくじ連続殺人事件、5番目の事件
捜査本部の見解
死因:排気ガスによる一酸化炭素中毒
被害者:巨漢(男性)
発見場所:自家用車、車内
何者かが事前に自動車に細工をして、ガスが車内に流れるように仕組んだと思われる。
被害者を意識不明の状態にし、乗せてエンジンを掛け、立ち去った。
事故に見せかけた周到な殺人事件である。


古畑&西園寺ペアは黒岩博士に詰め寄ります。
「犯人がおみくじを詰められるのは死体が発見された後しかないんです。それが出来るのは検死を担当した監察医だけです」

黒岩:「違う。変死体が発見されてから検案(検死)がなされるまで、遺体は警察の霊安室にある。俺以外に忍び込める人物はいる。いないとどうして言える?遺体に触れられるのは俺だけかい?」(ア)

これに対し古畑陣営は(正確には西園寺刑事は)「いいえ」と黒岩の見解通りであることを認めます。

たいてい、ここまで追い詰められると犯人は自供、または焦って証拠隠滅のために余計なことを試み、その現場を先読みした古畑陣営に抑えられるか、嘘を隠すための嘘を重ねるため、証言の何処かに矛盾が生まれます。

ところが黒岩博士は動じません。物的証拠がない限り、自供はしない腹づもりです。どんと構えています。緒形拳の迫力強し。

レストランで閃いた西園寺のヒントにより、再度、黒岩に会う古畑任三郎。
「今度は証拠をみつけた」と。

 

台詞は全てではなく抜粋します。

(5番目の事件の検案依頼書や、遺体が着ていた衣服と同じものを着た今泉巡査の全身写真等、見せながら)

古畑:「犯人は自然死、事故死の変死体を他殺に見せかけるためにおみくじを遺体に詰めています。だとしたらどうしてこれを着た死体を選んだのでしょうか。条件にあった遺体は他にいくらでもあるはずです。犯人は死体がこれを着ていることを知らなかったんですよ。死体発見から検案にまわされるまで遺体は服を着ています。霊安室に運ばれて服を脱がされるんです。彼が何を着ているかを知らなかったのは、裸になってから遺体と対面した人物だけです。つまりあなたです。この推理、いかがですか。」(イ)

黒岩:「悪くないね。だが、自供は断る。あんたが証明したのは俺がおみくじを詰めたってことだけじゃないか。俺は人なんか殺していない。」

決め手と思われた犯人唯一のミスを突きつけられても、黒岩はびくともしない。

このシーンが疑問です。

(ア)の台詞で『検案時以外に遺体に触れる機会がある。霊安室だ。俺以外の人物が遺体に触れる可能性がある。』と黒岩は主張しています。
(イ)の台詞で『霊安室に運ばれて服を脱がされる』と古畑は述べています。

ということは、『おみくじを詰めた人物が遺体が着ていた衣服の種類を知っているか知らないかに限らず、この服を着ている時の遺体におみくじを詰めることは出来ないこと』を示しています。『服を脱がせば詰められる』ということです。

(イ)の台詞そのものが『霊安室で詰められる』ということになっています。『霊安室で詰められる』のであれば、服の形状は関係ありません。それを黒岩博士は(ア)で述べています。

何故、「あんたが証明したのは俺がおみくじを詰めたってことだけじゃないか。」と認めたのか、解せません。

 

「チビッコ(西園寺刑事)とあんたが一緒に来た時、言ったじゃないか。検案にまわされるまで遺体は霊安室にあるんだ。そこで服を脱がされるなら、監察医は遺体の服を見ていない。検案依頼書には写真がないんだ。監察医が詳しく遺体の服を知らなくても不思議じゃない。年に何体の検案をすると思ってるんだ。俺の仕事は検案だ。死亡推定時刻や死因を検案調書に書くことだ。服装は文字で読み、裸体のホトケサンとご対面する。いちいち服装を覚えているはずがない。それは警察の仕事だ。俺が推理して検案調書にこういう事件だ、こういう事故だと書ける権利がない。俺が殺人犯だとどうして言える。」 喋りすぎたとしてもこれぐらいが精一杯。別に自供する必要はありません。

勿論、黒岩はミスを指摘され、自分が知らなかった真実(5番目の遺体の服)を初めて聞かされていますから平常心を失い、うっかり犯行の一部を認めたのかも知れません。しかし認める必要性が何処にもありません。何故なら、黒岩は追い込まれていないからです。

未だ黒岩以外におみくじを詰められる人物がいるのです。服を脱がせるのは検案にあたる監察医ではないことは百も承知のはずです。古畑は黒岩に対して揺さぶりをかけたに過ぎず、決定打に欠けます。「おみくじを詰められるのはあなたしかいない」と証明してはいません。証明されていないものをどうして認めたのでしょうか。

考えられることは「やるな・・・古畑」と実力を認め、一歩退いてあげても(殺人さえ認めなければ)痛くないと思ったのかも知れません。このドラマ特有の犯人が見せる粋な部分。

の、わりに黒岩博士の心理描写が曖昧。

もうひとつ考えられることは、『捜査本部に古畑がいない』ということを ″黒岩が知らない″ゆえ、『捜査本部の拙さを古畑の拙さ』と同一視してしまい、甘く見ていたのかも知れません。

事実、第5の事件、捜査本部の見解はひどいものです。

一酸化炭素中毒事故に見せかけた計画的な殺人事件なら、何故犯人は最後まで事故に見せかけ抜くことをしないのでしょうか。どんなに用意周到な細工を自動車に施しても、遺体から第三者の手がかりを示す物証(おみくじ)がみつかればそれは事故ではなくなってしまいます。矛盾しています。

 現場検証→事故に見える→おみくじ発見→これは事件。

こう見るのが当然で、「事故に見せかけた犯行」という見解は稚拙です。

黒岩が「我々監察医のことを、お前ら刑事はなんにも分かっちゃいない」と述べていた頃は「古畑も大したことないレベル」と思っていたのでしょう。その大したことないやつにいきなりミスを指摘され、驚いた可能性はあります。

「嘘の見解を発表したのか。捜査本部は。」と考えたなら、それを知らない自分は出し抜かれたわけだから、「もしかしたらおみくじを詰めた犯人を知っていて泳がせていた?そうであれば何処まで知られているかわからない。じゃあ、少なくとも殺人は認めてはならない。断固として。」と考えたのかもねw


「現場検証で事故扱い。でもよく調べると他殺。と、何度も振り回すという警察を嘲笑うような猟奇・変質者の犯行に思わせたい」という動機なら話は通りますが、そういう描写もなく、事故に見えてしまうと困るのは黒岩博士自身です。

 



5番目の遺体を黒岩博士が選択した矛盾に気づいたのは西園寺刑事。
決定的物証を突きつけたのは古畑任三郎、その物証のきっかけを作ったのは今泉刑事。
面白いトリオです。

 

 



西園寺守刑事の階級は不明。
古畑任三郎の部下は今泉慎太郎と西園寺守であり、古畑は警部補、今泉は巡査。年齢から考えて2人の階級は異様に低い。西園寺刑事は3名の中で最も若く、今泉巡査を先輩としてることから西園寺も巡査と思われるが、クレバーで優秀な警察官であるため何ともいえない。

今泉巡査は数々の致命的と言える捜査ミスをしており、学習能力もお世辞にも良いとは言えず、いつまでも巡査のまま昇進しないことは頷ける。クビになってもおかしくない今泉巡査が常に刑事を続けていられるのは、古畑が手放したくないため。今泉が数々の偶然による手柄を立てているためと思われる。推理に行き詰まる古畑を幾度も助けている。

西園寺守刑事を古畑警部補の部下に配属したのは芳賀啓二刑事である。芳賀は古畑の部下であった時期があり、当時は巡査であった。西園寺守が古畑と共に捜査できるように配属した際、芳賀啓二は部長と呼ばれ古畑を「かつての上司です」と語っていることから、西園寺は少なくとも部長や警部補より階級が下である。おそらくは巡査と思われる。

主人公であり、日本一の刑事と誰もが認める古畑任三郎が警部補のまま昇進しない理由は、現場から離れたくないという理由の他に、昇進に興味がなかったりするが、決定的な要因は容疑者を自供させる話術は卓越していても、殆どの事件が法廷でひっくり返される危険性をはらむ、弱い決め手ばかりであること。(現に第一話の犯人・小石川ちなみさんは無罪)また、幾つかの事件を温情で見逃していること、遺体の出血を見ることが苦手であったり、拳銃や警察手帳を携帯していないことなど、警察官として問題がある。(拳銃は使用法を知らない。「警察手帳の形は知っているが紛失した」と語っているシーンが有る)イタズラ好きでミーハー。地蔵にいたずら書きをしたことがあり、立派な犯罪。

犯人の共通点として挙げられる点の1つ。
殆ど古畑が「先生」と呼ぶ職業である。喩え助手であってもその道の専門家であれば「先生」。



外科医、歯科医、精神科医、監察医、教員、弁護士、ミステリ作家、指揮者、プロマジシャン、落語家、数学者、科学者(化学研究者)、脚本家、少女コミックの作家、小説家、役者、囲碁棋士、将棋棋士、ピアニスト、歌手。全員、「先生」と呼んでおかしくない。弟子がいる地位なら「先生」、学生に講義・授業をしているなら教員でなくても「先生」。