柔道王・山下泰裕の203連勝に疑問符を打つと言われているいくつかの試合がある。いくつかの試合とはいっても最後の試合(斉藤仁戦)のスリップダウンと、もうひとつぐらいだ。ここではそのもうひとつについて考える。勿論、「かも知れない」の世界であり断定は出来ない。

 

1980年 全日本体重別選手権 山下泰裕VS遠藤純男

 

勝敗はつかず結果は引き分けである。

 

遠藤の奇襲、蟹挟みによって山下は左足を骨折。

試合続行が不可能となり、引き分けとなった。これが事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蟹挟みに入った瞬間ボキッという音が試合場に響き、審判は「待て」をかける。

「待て」なのだから野球で言えばボールデッド。つまり「待て」以降は試合中ではない。寝技の攻防は両者ともに不可能である。

 

「待て」なのだから、遠藤さんは仰向けのまま山下さんの様子をうかがい、周囲を見る。

山下さんはしゃがみこむように蟹挟みを防ぎ(畳に背をつけず)、上から見て時計回りに体を回して手を畳につけ、脚のからみを解く。「待て」と同時に、ちょっと立ち上がろうとしているようにも見える。

 

『もし「待て」がなかったら』というのはありえないのだが(非常事態なので)、仮に続行していれば遠藤さんは山下さんの腰横や背後に回ったりの(寝技の)攻めに移行するかも知れず、山下さんはそうはさせじと振りほどこうとするか、仰向けの遠藤さんを抑えようとしたかも知れない。

 

「かも知れない」ということは「蟹挟み以降の展開は誰にもわからない」のである。(試合が出来たかも知れない)

 

ボクシングなどと違い、ダメージという要素を判定の優劣に含めない柔道というルール。

「展開が誰にもわからない」なら、蟹挟み以降、どちらが有利な態勢になっていたかすらわからず、試合続行不可能であれば引き分けという裁定は正しい。

 

「待て」がなければどちらかがどちらかを抑え込んでいたかも知れない。

「待て」がなければ勝者と敗者はいた。ように感じる。

だが、「待て」をかけない状況ではなかったことも確かで、この試合、誰も悪くないのである。

 

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様々な憶測記事がある。

 

1・蟹挟みは反則。遠藤の反則負け説。

2・蟹挟みは禁止技ではなかった。山下の棄権負け説。

3・山下の連勝記録を途絶えさせないための特例で引き分け。

 

概ね、この3つ。

 

1は間違い。蟹挟みはこの試合によって問題視されし始めた、試合で見ることが珍しいとされた技であり、当時は禁止技ではない。

2は多くの柔道人が推している説。武道として柔道を愛する人が好む。木村政彦も2の説を述べている。

3も多い。無敗の山下泰裕じゃなければ誰もが負けにされていただろうという説。

 

実際にはどうだったかと言えば引き分けである。

ということは、この試合は引き分けなのだ。特例措置だとか、実質山下敗北とか、それはスポーツとしておかしい表現である。

 

何故このような複数の説が出ているかといえば、国際大会と全日本柔道選手権大会と全日本体重別選手権はルールが異なるためである。

 

「反則ではない技で山下選手が試合続行不可能となったのであれば棄権負けではないか」と2の説を私も考えた。

 

以下は「とある場所」から持ってきた4つめの説と5つめの説である。

 

本来、負傷による引き分けというルールは現在の柔道にはない。負傷の際の3つの規約を見る。

 

 

a 負傷の原因が負傷した選手の責任と認められる場合、負傷した選手の負けとなる

b 負傷の原因が負傷していない選手の責任と認められる場合、負傷させた選手の負けとなる

c 負傷の原因がどちらの選手の責任と決めかねる場合、試合を続行できない選手の負けとなる

 

 

遠藤の蟹挟みで左足すねの外側、細い部分を骨折した山下。

 

a は該当しない。山下の責任で負傷したとは思えない。

b も該当しない、遠藤の蟹挟みはれっきとした柔道の技である。これが原因で山下が負傷したとは思えない。

ということは、残るルールはCである。Cが該当した場合、山下の負けである。

 

結果は引き分け。ということは、以下が考えられる。

 

4,abc全てが該当しないケース。

 

要は遠藤純男が「負傷は自分の責任」と認め、山下泰裕が「負傷は自分の責任」と認め、審判が「どちらの責任か」を協議する時間は無く山下の治療を優先させた場合だ。実際に遠藤の蟹挟みで山下は倒れた(柔道の技の効果で畳に背をつけた)わけではなく、しゃがみ込むように防いだ感じである。遠藤も蟹挟みの瞬間、やってしまったという表情で技を解いている。ボキッという音が聞こえ、山下はうずくまる。遠藤が「己の責はなし」と非情に徹するならそのまま骨折に構うことなく山下をひねり倒し、抑え込んだかも知れない。寝技に行かず、終始「大変なことをしてしまった」という表情で心配そうに山下の様子を見ている遠藤。医師が診察し骨折の疑い有りと診断、試合続行が不可能であることを遠藤に告げ、山下は担架で運ばれる。両者に責任なし、もしくは両者に責任有りのどちらかを協議出来ず引き分けを宣告、遠藤が畳を降りたため、引き分けが成立した、という説である。

 

 

参考 国際大会のケース

 

1985年6月ソウル開催 

第14回世界選手権大会71キロ級3回戦 

安柄根(アン・ビョングン) 対 西田孝宏

 

 

 


亀になって守るアンに絞め技を施すように背後から胴に両脚を絡めて攻める西田は、アクシデントで左膝を負傷、そのままアンの前方に一回転し、形勢逆転、上四方固めに抑え込まれるが、緊急事態を察知した主審が試合を止める。抑え込みを解くアンは呆然とし、西田はコーチ陣に向かって大声で「外れた!」と叫ぶ。何やら指示を受けた西田は意を決して自分で自分の左膝を両腕で伸ばし、関節を入れて何事もなかったかのように立ち上がって開始線に立つ。主審はアンの勝ちを宣告。異議を申し立てる西田だったが判定は覆らず。 アンも西田も反則は何もなく、c のケースが該当した試合と思われる。

アンが抑えたにもかかわらず、立ち姿勢から試合再開するわけには行かない。ルールよりも国際審判は最後の両者のポジションを見たようである。

 

 

パワーのアン、テクニックと経験の西田さん。

西田さんの横四方固めは大変参考にさせていただきました。

 

 

オリンピック71キロ級で中西英俊選手が、アジア大会で吉鷹幸春選手が、世界選手権で西田孝宏選手がアンピョングンに敗れました。ただし印象としては「アンはそつがないが、運が強い」イメージ。

古賀稔彦選手の時代には対戦が実現せず。

 

 

 

 

遠藤純男VS山下泰裕に話を戻す。

 

5,abcのcがなく、abと「d」があった説。

 

全日本選手権でもなく世界選手権でもない、当時の全日本体重別選手権のルールで、

 

d 負傷の原因がどちらの選手の責任とも決めかねる場合、試合を続行できない場合は勝敗を決しない

 

 

当日の新聞が今は閲覧不能で、ウィキペディアや柔道記事などを見ても「どうして引き分けになったのか」はわからないが、このルールd を実況アナが述べているシーンを記憶している方がおられた。

 

真実はわからないし実際のところ、あまり知りたいとも思わない。

私が許せないのは勝手な憶測で「遠藤純男反則説」や「山下泰裕棄権負け説」「無敗神話存続のための特例説」を唱えている輩である。断定するなら根拠が必要である。印象だけで述べ、断言してはならない。

少なくとも山下は「参った」をしたわけでもなければ、試合放棄をしたわけでもない。いや、その意思表示ができる状態ではなかったかもしれない。ということは棄権負け説は消える。(試合する権利を捨てる意図での棄権である。)

勿論、ドクターストップ説なら未だわかる。見た目の印象では遠藤純男棄権(試合放棄)にも見えるぐらい闘争本能を失っている。試合どころではなく、非常事態。どちらも闘える心身ではなかったとし、引き分けが妥当。という考え方が好きだ。

 

私が他の無責任な人々と違うのは、わからないことは言い切らないということである。

どこで「待て」がかかったのかも現在では不明。あの試合は当事者でなければ「今となってはわからない」試合であり、勝者はおらず、敗者もなく、判定は引き分けという事実だけが残る。

 

痛み分けとは、柔道や相撲でどちらかが怪我をして結果を引きわけで終わらせること。

 

柔道はスポーツである。

遠藤純男も山下泰裕も試合をしているのであって、死合ではない。

スポーツで引き分けと判定されて「あれは山下の負けだよ」と言う資格が誰にあるのか。

忘れてはならない。審判がいる時点で柔道は体育のひとつだ。断じて殺し合いではない。選手生命の危険が感じられたら即試合停止である。

 

自分はここで述べた4と5の、「2つの引き分け説」で充分満足だ。

 

私の考えが半分で、当時の放送を見ていた柔道人の記憶が半分。

充分。

 

 

 

追記

 

ふと感じた。

 

[ b も該当しない、遠藤の蟹挟みで山下が負傷したとは思えない。]    これは本当だろうか。

 

審判が遠藤純男の蟹挟みのどこかに問題を感じて、「待て」のあと、注意してやしないだろうか。

しきりに申し訳なさそうにしている遠藤純男の表情から、「自分が悪かったのかな」と振り返っている様子にも見える。

 

本当に「かも知れない」の世界だが、大変無礼な話、遠藤純男の蟹挟みが故意ではなく偶発的に投げ技の目的以外の力の方向に働いた場合、b が成立してしまう。しかし遠藤を負けにする協議の時間はない。畳の上は修羅場。まるで事故現場だ。緊急事態である。

 

6つめの説として、

 

遠藤純男の蟹挟みに負傷を誘発する所作があったか否かについてと、山下泰裕が蟹挟みを正確に防御、負傷原因無く受け止めたか否かについての、双方を協議することなく「どちらともいえない」という答えのない答えのまま、引き分けが妥当とした説。これを挙げておく。

 

説は全て「かも知れない」。

事実は「遠藤純男の蟹挟みで山下泰裕負傷、試合続行が不可能となり引き分け」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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渡辺浩稔選手の蟹挟み