少年の母は少年が10代の前半に死んだ。

 

 

父は母をとても愛しており、母が死んでからも

母がいないとわかっておりながらも

 

「ママは寒がりやからな」と、

 

母が使っていた湯たんぽを作って、

もう居ない母のベットに入れることを続けた。

 

 

少年は「オトン、オカンはもうおらんのやで」

 

と父にいうものも「わかっとる、わかっとるで」と言う父は

その習慣を変えることをなかった。

 

毎晩毎晩湯たんぽを作った。

 

少年は「死んだ人から離れられていない」と父に僅かな苛立ちを覚えた。

オカンはもうおらへんのに。

湯たんぽなんか、そんなん無駄やん。

 

 

少年が独り立ちして、父親に

「近所にいるし、今から家に行く」と電話をかけると

 

「待って!待ってあと1時間待って!」と父は返す。

 

 

父は母親の思い出に囲まれて過ごすのが好きだった。

母の使っていたもの、お気に入りのもの、思い出の写真

 

これらをズラッと並べて、父と母の時間を作っていた。

 

しかし父親は、その時間は人に言えることではないと知っていたので

息子がやってくる時間に合わせて片付ける必要があるのだ。

 

 

少年から青年になった息子は

「オトンはホンマ毎日同じことばっかり。

死んだ人は蘇らへんのや。いや思い出も大切やけど、

それは無駄な時間や。前向いて進まな。」

 

 

諦めと苛立ちの間にいた。

 

 

しばらくして父親が死んだ。

 

 

 

息子は父親のことも愛していた。

オカンが死んでからちょっとおかしくなってしまったけど。

 

 

気がつけば彼は毎日父親の電話番号に電話をかけていた。

 

誰も出るはずがないのに。

彼は自分が父親が母親にしていたことを思い出した。

 

俺もオトンと同じことしとるやん。

 

 

 

 

って言う感じの話やねんけど、どんなタイトルやったか忘れてしまった。

夫に聞いたら「えー!ポエムやでそれ、えーー…えー…」

 

 

私たちは一生思い出せそうにない。

けどこの話を読んだ時にちょっとした腹のササクレがあったので

同じようなエモさのダメージを感受性の高くて生きづらい皆さんに分けとくで。

 

何とも思わへん人はフランダースの犬を見て泣いてください。

 

私フランダースの犬、見たことなんで知らないんですけど。