毎年この季節に夫は九州へ同窓会に出かけます。
その間わたしはまったくの自由になれます。たいがい自由だけど・・・
去年は横浜のお友達のところと東京で姉と会った。
今年は姉に遊びに来てもらいずーと前から探したい場所があったので一緒に、というより姉も探したいといっていたので一緒に自分達の生まれた家を探しに出かけました。
なんたって戦前の話なので多分わからないだろうと思いつつ、でも姉は私よりはもっと覚えているだろうと少しは期待して行きました。
まず 駅でコリアンタウンはどう行きますか?
と聞いたついでに姉が通っていた小学校の名前を言うと渡してくれた地図にそのままの名前で小学校があるではないですか。
1駅戻らないといけないけどそこが通った小学校かどうか見に行きたいというので沢山歩く覚悟で戻りかけましたがいくらも行かないうちにすぐにその小学校があって、ここやここや!というのでその中まで入れてもらい、きれいに立て替わった校舎を見、運動場など見て大いに感激してまた駅まで戻ってきました。その感激は私にはそれほどではなかったけど伝わりました。わかるわぁ~
なんたって私は3つか4つだったんだから・・・
生まれた家もおぼろげにしか覚えてないんだけど、美幸神社という話だけで何年か前にも一度探しに出かけたんだけど神社はわかったけどそのどのへんかわからないまま、このへんか・・・という感じでそのまま。
美幸神社を目指してひたすら歩いて…でも意外にわかりやすいところに神社はありました。
そこからが姉のおぼろげな記憶に頼って歩き出したんですが(これを期待していたんです)、多分この辺よ、というお店にはちょっとお年寄りの方が店番されていたので聞いてみました。その方は昭和30年代にここに来られたということでダメだなぁとちょっとあきらめかけたんだけど、この辺で古くから住んでいらっしゃる方を紹介してください、とお願いしてちょっと手前のお店まで行きました。
出てこられた方は戦前からここに長く住んでいるよ、ということで姉と話を始めたらこの通りのあっちには何がこっちには何がというのが姉の話とぴったり話が合うんですよ~!!
そして昭和何年の大阪爆撃であの道から先は全部焼け野原になったんだよ(私には歴史上の話)、とおっしゃる先が我々の生まれた家があったところで、でもそのまま同じ区画で家が復興しているので、とおっしゃるので昔我が家は店をしていたので、その名前をいうと「あ~よう知ってる、繁盛してたからなぁ」だって。
うれしくなりました。
詳しく話を聞くと先ほどお店番をしていてお話を聞いたあのお店(がらすやさん)が我々が住んでいた家だったんですって、もちろん焼けてしまって家自体は違うんだけど、そして何代も違う人が住んでいたんだけど。
鳥肌が立ちました。姉の記憶の良さ、なんてことでしょう。
私の中での唯一の記憶・・・そろばんを水槽につけて遊んでいる・・何でそろばんを付けていたんだろうね、というと姉はそろばんが浮くかどうか試していたんだよ~ですって、覚えているんですよ。そしてちょっと路地を曲がったところに植木鉢になった水槽があったのでこの場所だねということにしました(これは確かでなないけど)。
写真を撮らしてもらって帰りました。
長い間大阪に住んでいて自分の生まれた場所がどんなところかな、と思うけどどうやって探したらいいのかわからなかったのが今回はっきりしてやっと落ち着きました。
よかった。